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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

国立高校が甲子園に行ってからもう35年。エース市川君が日経に出ていた。

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いとこに教えてもらい、検索したら、出てきた。

投手・市川氏「野球は体の一部、考え方の土台に」

「都立の星」の甲子園 国立高・元ナインに聞く(上)


都立国立が都立高校として初めて甲子園に出場したのは、1980年。
あれから35年。

市川君は、今も元気で活躍していた。

・・・

しかし、甲子園を目指していたとは。甲子園に行きたいと思い、国高を選んだとは。知らなかった。

凄いなぁー。

あの夏、実は、予選時点で、関心のある人は少なかった。
「なんだか勝ち進んでいるらしいよぉ」
「へぇ」

その内、
「ベスト8に残ったみたいよ」
「応援に行くか」
「最後かも知れないし」
ぼちぼち応援に行く、野球部好きな人たちが出てくる。


そして、
「次で決勝だよー」
「うっそー」

最後に
「決勝だよー」
「甲子園だよー」

・・・と皆で決勝戦には応援に行った・・はず。

私はたまたま祖父の葬儀があって、母の故郷の丹後半島に行っていたのだが、その出先で、決勝に勝ったことを知ったのだった。

そこからである。

国立高校も、国立市も、大騒ぎになったのは。

いや、日本全国が凄いことになったのだ。

連日スポーツ新聞で取材され、TVに出て・・。

あの甲子園がなければ、浪人しなかった同級生もいたと思う(笑


さて、そんなわけで、あれから35年。

市川君が久々にメディアに登場したのだが、高校生の時とちーっとも変わっていない。

こういうお顔だった、うんうん。懐かしい。

(といっても、私は知っているが、市川君は、私のことなど知らない。接点がない。唯一、サインをもらいにいったことがあるだけだ。そしてそのサイン、まだうちにある)

人生で戻りたい時代がいつかと問われたら、間違いなく、国高時代である。

あの15歳から18歳までのとても楽しい学生生活なら、もう一度経験してもよい。

・・・ この記事、後編があるみたいだ。 川端君や名取君が登場するんだろうか?

楽しみ、楽しみ。

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