【父の介護日記-番外編-】介護はそこここに溢れていた!
年末から父の在宅介護に追われ、一時は父の死ぬかも、という状況になったのですが、家族も「死ぬ―」と思うほどの状態がありました。
心身共に疲れ果て・・・という・・。
後日詳しく書きますがそれはまるで「シジフォスの岩のお話」を体現しているような。
これは何の罰ですか?と思うほどの日があったのです。
さて、そんなこんなをFacebookだけで公開していましたら、もちろん、状況が状況なだけに「いいね!」を押す方は少ないものの、相当数の方が私の介護状況を見守ってくださっていたようです。
コメントがいつもより多数寄せられました。
コメントではなくメッセージで頂戴するケースもありました。(今でもあります)
メッセージの場合は、本当に個人的な状況を詳しく説明してくださり、「うちも同じ」「一緒に頑張ろう」「書いてくれて、自分も調べ方がわかった」など添えてあります。
それでわかったことは、介護は日常に溢れかえっているという事実です。
誰も口にはしないけれど、40歳も過ぎたら、男女問わず、実の両親、義理の両親、そして、祖父母と大勢の高齢者を抱え、その中で、一人は被介護者がいるという方が本当に多いのです。
現在進行形の方も、数年前まで4年見てましたとか、在宅で5年とか、ホームに最近入居してもらい後ろめたい気持ちも残っているとか、あるわあるわ。
巻き込まれている世代は、40代以上なので、働き盛りというか、重要なポストについている方も多く、また、晩婚化も手伝って、子育てと介護が同時多発で起こっているケースも。
ああ、なんてこった。
私がFacebookで饒舌に自身の身に降りかかる介護のことを書いていたら、それに誘われるように、大勢の方が、「私もそうだ!」「私の話も聞いて!」と反応してきたってことは、誰もが「誰かに聴いてほしい!」ということにほかならず。
それだけ、介護者は孤独で追い詰められているのではないかとも思った次第。
だいたい、子育ての苦労は、子どもがかわいい!ということで救いがあるけれど、
高齢者の介護は、汚い話も混ざってきて、救いになる部分が少ないと思うわけです。
私も父のうんこを拭く・・という日々を送りましたが、あかちゃんのうんちと大人のうんこはなんか次元の違うものがありますよね。
そうなると、「話しても仕方ない」「他人の目に触れさせても」「そんなこと聞かされても困るよね」と遠慮して、一人で胸にしまって悲しみや苦しみを耐えてしまうのではないだろうか・・・。
いや、もちろん、一番情けないと思っているのは、被介護者当人ではあります。
父も「こんな風になってしまった」と最悪の体調になった頃は言っていました。(頭しっかりしているものですからちゃんと認識できている)
でも、家族もやるせない。
そして、肉体的にも精神的にも、まじキツイ!
日本は、本当に高齢化社会なのですねぇ。
介護うつにならないためにも、独り言でもいいから、話すことでじゃんじゃん発散したほうがいいと思うのです。
・・・・・いやはや、大変。
我が家はまた別の意味で、大変なモードに突入しました。昨夜。