「痕跡」と「気配」:新幹線で飲み食いしたゴミは持って降りようじゃないか!
先日、新大阪から新幹線に乗った時のこと。その新幹線は博多発。 自分の座席に陣取ると、前の網ポケットには、コーヒーのカップや蓋、シートは倒れたまま、足元はなぜか水で濡れている、という始末。
どこで降りた方かはわかりませんが、新大阪までのいずれかの駅まで座っていた人が確実にいて、座席を倒して、コーヒーも飲んでいたのでしょう。
私は、その「誰かがいた痕跡満々」の席に、「ま、名古屋まで1時間程度だし、我慢我慢」と思いつつ、新大阪から名古屋まで乗ったのでした。
始発駅ではない新幹線の場合、時々、こういう体験をすることがあります。
私はキホン的に「ちょっとやそっとじゃ怒らない」と決意しているので、この程度のことで「むかーっ」とはならないのですが、ただ、思うのです。
「どこのどなたかわかりませんが、途中駅で降りる際、ここに新たな乗客が乗り込むことをイメージしませんでしたか? そのゴミのある席にだれかが座ることになることに思いが至りませんでしたか? ココロが痛みませんか?」と。
もし、その人が企業にお勤めで、部下なんかもいて、「もっと他人に配慮しろ」なんて教えていたりして・・・。とか。
「近頃の若者は、自分本位過ぎるぞ」なんて嘆いていたりして。とか。
そんな風に想像しているうちに、どうでもよくなり、ま、いいか、と思うのですが、途中下車の人はもとより、終点であってもゴミくらい持って降りて、ゴミ箱にきちんと捨てたいものですなぁ・・・。
んで、そんなことを考えていたら、もう、タイムリーにこんなコラムに出会いました。
ありがとう。ありがとう。このコラムを書いている方。私のキモチにぴったり。
いわく。「美人は痕跡を残さない」
ダイヤモンドオンライン 美人のもと 「痕跡」
そうですよね。 「痕跡を残さない」。大事だと思います。
*美人というのは、別に女性じゃなくてもいいような気がします。男性でも、老若男女、だれにでもあてはまる「美人」。
このコラムを読んで思ったのは、「痕跡」を残さない、だけではなく、「気配」を消す、というのもあるのではないかと。
満員電車の中で、「気配」だらけの人がたまにいます。
ヘッドフォンからの音漏れしかり。化粧しかり。脚をうーんと投げ出している人しかり。ドア付近で、まっすぐ立たず、乗り降りする人の足を引っ掛けたいのかと思うほどに、だらんと立っている人しかり。
「気配」がない、とは、電車降りた時に、「その人のことなど全然記憶に残っていないような”静かな”たたずまいだった」ってことだと思います。
こう考えるとまずは「気配」がない、その結果「痕跡」も残さないこと。
両方大事な気がしてきました。
「気配」と「痕跡」。
きっと、たたずまいが美しい人は、忍者のような人なのですな。ニンニン♪。