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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「実は自分で選んでいる」という感覚は大事ぢゃないか。

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世間はお盆休みで電車も空いていますが、こういう時は出社するに限ると、毎年楽しく通勤する田中淳子です。

ずーっと前に買ったまま積読の一冊になっていた平木典子さんの本を取り出して読んでいます。アサーションの本です。

アサーションとかアサーティブとは、”I'm OK. You're OK.”というスタンスで、相手(受け手)には配慮しつつも、自分の気持ち、思いに正直になる態度や正直に伝えるコミュニケーションの在り方を指す言葉です。

中に、「何もかも自分で選ぶ権利があるし、選んでいいんだ。選べば、自分で責任を持てる」といった内容が出てきます。

たとえば、誰かに呑みに誘われたけど、気分が乗らないので行きたくない。でも、相手との関係を考えると、断るのも悪いと思い、気が進まないまま行ってしまうことがある。それで楽しめればいいのだけれど、心の中では、ずーっと「本当は来たくなかったのに」と思っている自分がいる。そうすると、相手に対しても100%向き合えないし、相手に「なんか楽しんでなさそうだな」と気を使わせることになるかもしれないし、断れなかった自分自身にも嫌気がさしたりする。

平木さんは、「後悔するのは、自分の決断に責任をとっていないこと」と書いています。

もし、この時、正直に「誘ってくれてありがと。でも、今日は家に帰りたい。また誘ってねー」と素直に、でも、相手にも配慮して答えたならば、それは自分で選択したことになる。「同僚が気を悪くしたかも」と思うかも知れないけれど、それは、自分の決断・選択の結果だから自分で受け止めるべきことになる、と。

このくだりを読んでいて、ふと思い出した言葉があります。

たぶん、どなたか著名人が何かに書いたものなんだろうと思いますが、

今の自分は、過去自分が行ってきた選択の積み重ね」だ、というもの。

すべてが自分が選んだことの蓄積で、その時々で選んだもので自分の今は作られているというわけです。

『えー?そんなことないよ。上司は選べないし、上司に無理難題を押し付けられたらその仕事断れないし、断ったら査定に響くし』と思うかも知れないけれど、それでも、「いや、あなた自身が選んでいるんですよ」と言われたら、ホント、そうなんですよね。

上司は選べないけど、その上司の仕事を断れなくても、もちっと楽にやる方法を自分が提案することはできるかも知れない。

いや、本当に嫌な上司であれば、その上司との関係をなんとかしよう、と自分から何か行動を起こすこともできるかも知れない。

現に動く人だっている。

実は、どんなことでも自分で選んでいるんだ。
実は、どんなことでも自分で決めたのだ。

こう自覚すると、背筋がしゃきっと伸びるような気がします。

身近なことで言えば、「今、私の体重が理想より1.5Kg多いのは、体重が増えるような行為を自分が選んできたからだ」ということになります。

誰かに無理やり、ご飯を口に押し込まれたり、ワインを大量に飲まされたりしたわけではい。だれも、私がジムに行くことを止めたりもしていない。

そう、体重一つとっても、今の結果は私が選んだもの。

・・・・ というわけで、8月末までに1.5Kgを落とす、という決意をここで表明して、本日のエントリーはこれにて終了。(実は、ここまでに3.0Kg落としているのですが、んじゃ、いったい、何キロ増だったんだ?という突っ込みもしつつ・・・)


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