秋田の大潟村あきたこまち生産者協会ででザッポスを思い出す。
昨日9月6日から秋田県大潟村を訪問しています。
45年前に八郎潟の干拓事業でつくられた村です。
社会科で勉強した八郎潟にまさかこの年になってお邪魔するとは思いませんでした。
大潟村は日本の農業政策、コメ減反政策に翻弄された村です。
減反の中、自分の作りたいコメを作ることを決断したのが
大潟村あきたこまち生産者協会の涌井徹社長です。
ヤミ米農家と糾弾され続け、コメ作りを妨害された涌井さんのお話は
反骨魂にあふれ、過去様々なメディアで取り上げられてきたので
ご存知の方も多いかもしれません。
そして、ついには県や農協とは異なる
生活者への直販という手段を一から確立したのです。
今ではあたりまえの産直も
食管法でコメの流通が管理されている時代には
画期的で異端児的な行動だったようです。
実は8月に涌井さんには、東京である方のご紹介でお会いし
コメの放射能問題のお話を伺い、大潟村で取材させていただく事になり
今回お邪魔させていただいています。
前回のブログにも書きましたが
国のコメの放射能の出荷基準は500ベクレルになています。
しかし、この基準に涌井さんは疑問を持ちました。
放射性物質の飛散と食の安全・安全の問題について、
まず政府の情報の出し方やそれに対する対応について、
信頼性と一貫性を感じることができなかったから
自分たちの基準を作って消費者の方に安心して
自分たちのコメを食べてもらいたいと考えアクションを起こします。
まず、社内で子育て主婦の社員の方々に質問して
この500ベクレルという数字のコメを販売したら食べるかという質問をしたそうです。
社員の方は子供の顔を思い出して
「自分は子供には食べません」と答えたそうです。
ここから、社内で基準作りの議論が始まります。
最終的には涌井社長の判断で放射能検出機械が判定できる最低値の
限りなくゼロに近い1ベクレル以下のコメ以外は出荷しないことにしました。
まだ、収穫前、検査前の時期にも関わらず大胆にもこのことを
ホームページなどで伝え始めました。
いろいろなところで大丈夫かという話になったそうです。
社員の方々もこの決断でコメが売れなくなったらどうしようと
相当不安に感じたそうです。
実際、涌井社長も相当発表まではドキドキだったそうです。
そして、9月2日に財団法人 日本穀物検定協会の検査結果が大潟村に届きます。
検出限界値:1ベクレル/kg以下で問題はなかったそうです。
涌井社長、社員一同ほっとした事は言うまでもありません。
涌井社長の言葉、行動には絶えず生活者視点があります。
口で言うのは簡単ですが、実践するのは大変です。
社内のコールセンターの方とお話させていただいているときに、それを実感しました。
「たいがいのお客さまは月に一回おコメの注文でお電話をかけてきます。
私たちは絶えずお客様と電話でお話ししていますが
お客様は月に一度のお電話です。
とても電話での注文を楽しみにしていらっしゃる方も多いので
事務的にならずに、電話がたとえ長くなっても
お客さまとの会話を楽しんで、お客さまによろこんでいただけるように
お話しさせていただいています。」
とニコニコしながら社員の方が話されているのが印象に残りました。
また、手紙班というチームもあって、
お客様へのお礼状や社員の感謝の気持ちを書いた「色紙」を送る担当者もいるそうです。
この話を聞いて、突然ザッポスの事を思い出しました。
大潟村あきたこまち生産者協会はWowな体験があふれているのですね。
この会社のお客様はリピーターが多いそうですが
コメの味や品質以外に、社員の方々のお客様を満足させたいという気持ちが
お客様に定期購入させているのだなと感じた一瞬でした。
東北、秋田のザッポス企業大潟村あきたこまち生産者協会を
これからも定期的に追っかけたいと思います。
Wowな涌井徹社長の次のアクションにも期待しています。