電子データはアクセス手段が命
石碑や紙に書かれた情報は、媒体自体が生きている間は、情報を読めます。字がわからなくならない限りは。
アナログレコードは、プレーヤーがないと辛いとは言え、シンブルな機構なので音を出すだけならば容易です。しかし、CDは仮にディスクが残っていたとしても、それだけで情報を再現するのは厳しい(そもそも材質的に長期間はもたないようです)。
記憶媒体は、アクセスするための装置やインターフェースがないと読むこともできない。例え、読めたとしても、読むためのプログラムがないと単なるデータの羅列。
こんなことを考えたのは、先日、Apple Musicで配信されなくなった曲があったことと、先週に運営終了が発表された電子雑誌があったから。
Apple Musicで配信されなくなった曲は、イタリアのバイオリニスト/作曲家の作品。久しぶりに聴こうとしたら、曲をダウンロードしてあったのにも関わらず、再生できない状態になっていました。昨年に発表された作品ですが、何らかの理由で引き上げられたようです。iTunes Musicを含め自分が使っている他のサービスにもなかったので、久しぶりにCDを購入しました。
電子雑誌は、電子雑誌をやめる、別のサービスからデータを一定期間ダウンロードできる、とのメールが届いたので、元の紙雑誌は残ると思っていました。すると、紙雑誌も休刊する模様。1997年秋の創刊から購入していたバイク雑誌なので残念ですが、僕自身の変化なのか、ここ数年は以前のようには興味を持って読まなくなっていたので、あまり困る感じはしませんでした。とっておきたいと思った号は紙で買っていましたし。
こんな具合だと、何らかの原因で文明が途切れると、何も情報が残らないかもしれない。ここまで話を大きくしなくとも、国会図書館はどうしているかと思ったら、「当面、無償かつDRM(技術的制限手段)のないものに限定して、収集」だそうです。情報元: オンライン資料収集制度(eデポ)
また、「国等の公的機関が発信するインターネット情報を国立国会図書館が収集し、保存」もしているそうです。WebであってもFlashとか固有のデータ形式は、いずれ閲覧できなくなりそう。作る側の意識も必要かも。