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Web2.0時代の企業広報・コミュニケーションと情報活用を再考する

広報パーソンの価値観  社会構造のパラダイムシフト(上)

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 広報を考えるにあたって、広報パーソンの持つべき価値観ついて考えてみましょう。

そのために、「社会構造のパラダイムシフト」を再確認します。そして私たち日本人はそのさなかにいることを認識しなければなりません。人によっては、もみくちゃにされ、いやというほど骨身にしみている人もいるに違いありません。そうでなくても、多くの人がその不安な流れを感じとっていると考えられます。この社会を構成する全員の問題でもあります。 

そんな中、広報に携わるものとして、外部環境の変化にどう対応していくかが課題となるわけですから、多分に自己(個人や組織)をどう理解し、つまり価値観を整理し、行動をどう規定していくかがキーポイントになります。 

パラダイムシフトに乗り遅れた日本社会 

 1995年頃から日本の社会構造が急激に変化しつつあります。ひとことでいうと、「社会構造のパラダイムシフト」が起こりました。そう、過去形です。そして、現在進行形でもあります。その結果、社会を構成する私たちに求められる役割が変わってきています。20世紀初頭のフォード自動車の組立てオートメーション化から始まった「産業社会」が、「情報(インターネット)社会」へと切り替わりました。価値観の劇的な変化が巻き起こり、個人の若い人から始まって、この15年の間に多く人の生活が一変しました。社会の転がるスピードが劇的に高速化したのです。しかも、社会への係わり方も単機能固定型分担から多機能流動的参加へと変化しています。しかしながら、日本社会全体が根本的に変わったかというと、そうではありません。企業や官庁などさまざまな組織は個人ほど身軽にできてはいないですし、社会の広範囲でルールを急に変更すると、信頼関係に基づいたビジネスや取引、事務が成り立たなくなるからです。日本におけるその変化のスピードは他の先進国や中国、韓国に比べ随分と遅いのが実情です。ここに日本社会の問題点と悩みがあります。それはどういうことかと言うと、日本だけがその恩恵にあずかっていなのです。2000年以降9年間の各国の国内総生産(GDP)平均伸び率をみてみると、米国4.08%、フランス8.06%、ドイツ6.47%、英国4.39%で、日本は0.63%です。ダントツです。ちなみに中国17.41%、インド11.77%、韓国7.18%、ロシア26.25%となっています。12800万人の生活に関して、こと経済成長率でみる限り、完全に日本の一人負けです。 

[出所] (財)国際貿易投資研究所 「国際比較統計データベース」http://www.iti.or.jp/ 

[原資料]IMFInternational Financial Statistics (IFS) 20104月号)

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理性-真偽・善悪・美醜を識別する能力 

判断-基準に準拠してるか否かを判別する能力 

理解-概念や論理等の意味を解釈する能力

産業社会の構造 

 旧来の産業社会の組織は、一般的にヒエラルキー(階層)構造があって、多くの「ワーカー」と少数の「中間管理職」とごくわずかの「トップマネジメント」がいます。平たく言うと明確な縦方向の役割分担があります。圧倒的多数の企業はもちろんのこと、行政組織も職員、管理職、トップと同様の形をとってきました。「ワーカー」は決められた通りにやる人。「中間マネジメント」は決められた通りに進行しているのか判断する人。「トップ」は、本来何をするべきか?や、何がやっていいことかどうかなどを理性的に決断していく人。ということになります。もちろん、トップは理解力も判断力も人並み外れて優れていてくれなければ社員や職員は泣きを見ますよね。中間管理職もワーカーもそこは自分たちが神輿のようにかつがなければならないボスなので相互信頼を前提にしてお任せしてきました。20世紀のほとんどの間、このスタイルでやってきました。ずいぶんと長続きしたものです。 

情報(インターネット)社会の構造 

 ところが、インターネットが出現すると、「トップ」は従来「中間マネジメント」に伝えていたことを、ダイレクトに末端まで瞬時に伝えることができるようになって情報伝達スピードが猛烈に速くなりました。俗にいう「フラットな組織」の出現です。かつて、役員会で決まったことは翌週の部長会で報告され、さらに翌週の課長会で説明され、そして翌週になってようやく一般社員に指示されるということが、当たり前の時代がありました。 

今日では、全社員や全構成員が知らなければならないことは、その日にEメールやイントラサイトで全員が知ることができます。私のいた会社では、数千人以上の社員に向け、部長以上の幹部会の模様を全世界の10万人以上の社員に向けリアルタイムにネット放映していました。部長が東京出張から帰ってくるのを待つ必要などないのです。情報は管理職だろうと新入社員だろうと同様に与えられます。こういうフラットな情報環境が日本でも一部では実現しています。かつては、物理的技術的にできなかったに過ぎません。ちなみに、企業や官庁などの個別社会の枠を超えてフラットすると、それを「フラットな社会」と呼びます。従来の社会や企業や組織では、管理者や幹部は部下より早く情報を得られる立場からの権威がマネジメントの源泉でした。しかし、フラットな社会では社員も管理者幹部も同時に情報に接し、それぞれの役割分担に則した、付加価値のある分析やアイデア、施策を打ち出す能力によって相互評価される世界になったと言えるでしょう。こう考えれば、権威主義の色濃い政治や官僚の世界、企業のマネジメントスタイルが、人々から敬遠され、価値の低いものと扱われる、このご時世がなるほどと理解できます。20123月時点、今まさに国難とも言うべき震災後の状況下で、なぜ政府や権威が信頼されないか、分かろうというものです。

次回は、社会構造のパラダイムシフト(下)へ続きます。

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