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夏目房之介の「で?」

ふたつのテプフェールを巡る発表についての個人的メモ

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ふたつのテプフェールを巡る発表についての個人的メモ

2019.12.13 学習院大学身体表象文化学専攻 森田直子講演「コマ割り漫画の始まりと旅」

https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~cscvroff/conferences/img/poster_20191213.pdf

2109.12.14 早稲田大学総合人文科学研究センター研究部門「イメージ文化史」主催「マンガというメディア

https://www.waseda.jp/flas/rilas/news/2019/12/03/6823/

林道郎(上智大)、伊藤亜沙(東京工大)、宮本大人(明治大)、鈴木雅雄(早大)

 1213日、今年『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶ、メディアの原点』(萌書房)を出された森田直子先生(東北大)をお招きして、テプフェールと旅について、また19世紀の文学や視覚文化、連続したコマによる絵物語の展開についてお話しいただいた。佐々木果先生(当専攻講師)の発案だが、森田先生、佐々木先生のお二人が、日本にテプフェール研究と19世紀欧州視覚文化の文脈を引き入れて、「マンガ」研究につなげられたといっていい。森田先生の著書は、テプフェールという人物、彼を育んだ背景を、歴史・社会的背景から多角的にとらえたもので、とりわけ彼自身が印刷技術から判型まで選択して立ち上げた媒体としての形態(左→右方向で次々展開する帯状のコマ)、及び彼の置かれた様々な条件(目の病気、のちスイスとなるがパリから離れた周縁地域の文化差など)などを精査解読されている。

 旅への注目は、当然のように馬車から汽車への変化(圧倒的な速度)と視覚文化、とりわけ18世紀に始まるピクチャレスクと「観光」の関係に展開する。一方向へひたすら走り、やがてカタストロフとして破壊がやってくる展開は、20世紀初頭の米国新聞漫画でウィンザー・マッケイにまで連想を飛躍させる。質疑では、テプフェールの海賊版を通してパリで展開してゆく後継表現(ドレ、カムなど)との違い、政治的には保守的(?)だったテプフェールの絵物語表現における革新性など、多岐にわたる議論があった。

 僕個人は、佐々木先生を通じて初めてテプフェールを知り、まるで20世紀のスラップスティック映画の映像を先取りしたような展開に驚嘆したのだが、その後むしろ19世紀欧州の視覚文化的変化こそが写真と映画を引き寄せ、それが「マンガ」を挟んで20世紀映像表現に至りついたという文脈で考えるようになった(当専攻の三輪健太郎博士論文の影響もあった)。

面白いことに映画文化が成立するとマンガはその影響をむしろ前面に出し、影響関係の逆転と書き換えが起こる。いずれにせよ、こうした現象を考える時、我々は常に自分自身の中にある「漫画・マンガ」という言葉と概念的枠組みを問い返さざるを得ない。その過程で「マンガ」という概念は、いったん「何物でもない何か」に解体され歴史的に再構築されることになる。これが現在マンガ研究の一つの先端的課題になっているといえよう。

その意味で、何のいたずらか翌日早大で行われた鈴木雅雄、中田健太郎両氏によるシンポは極めて刺激的だった。鈴木先生は広い知見と興味関心から多角的にマンガ研究を推し進められ、今回が一応最終回となったシンポでは多くの発表によってさらに原理的な課題を提起された。

僕は遅れて到着したため、第一部後半からの参加となったが、頭の中で森田先生の講義とリンクしてしまい、とくに鈴木先生の発表についてはメディアの観点から様々なことを考えさせられた。昭和初期から存在した「漫画少年」たちについての新たな知見と戦時中の手塚を含む漫画体験に言及された宮本先生の発表もまた刺激的で、いつものことだが勉強させてもらったのだが、ここでは省く。

鈴木先生は、なぜテプフェールの革新性がその後のドレやカムなどの展開で「後退」したように我々に見えてしまうのか、という疑問を出された。テプフェールの「動く」が、後継によってむしろ絵を「止める」方向にいったん向いてしまうように見えることへの疑義であった。詳しい議論は、あまりちゃんとメモを取らなかったので置くが、僕にはメディアそのものを自ら選択し、「絵画文学」というジャンルを自ら定義し、制作過程を演出したテプフェールと、その影響を、与えられた新聞などの紙面で展開したドレやカムとの違いが大きかったように思えた。それは森田発表を聴いていたからなのだが、またこんなことも考えた。

テプフェールの展開は、当時の欧州の絵物語展開において、やはり過激な記号化や軽さ、簡略化、繰り返し(佐々木先生の指摘されたところだ)の表現をもたらした。テプフェールは自らそれについて論考を書き、定義している。しかし、後継者たちはテプフェールよりはるかに「画家」であり、また技量もあったので、当時の価値観として「絵としてもっと完成度のある方向」へと転回させたのではないか。だから、彼らにとってはむしろそれは改善、進化だったのかもしれない。

だが19世紀後半期には『マックス&モーリッツ』が現れ、さらに米国での新聞漫画の展開へと連携していった。そこに登場人物の同一性の問題がからむことは確かだし、絵の完成度(「止める」ことの重視)と「動く」ことが、マッケイによって「統合」するという鈴木先生の指摘はその通りだろう。しかし鈴木先生も自問されたように、そこにはどこまでも現在の我々の漫画・マンガ概念が投影されてしまう。そこをどれだけ超えていけるかが問われるし、また面白いところだと思う。

おそらく視覚文化のみならず、ここには近代(モダニティ)を巡る問題がからんでいる。そして、この問題は自己言及的なパラドックスを必然的にはらんでしまう気がする。そのため、どんな言葉を使って、どんな枠組みや文脈で語るかがとても厄介だが、面白いといえばかなり面白い。そんなことが脳内を駆け巡り、カオス状態になった二日間だった。

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