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夏目房之介の「で?」

高校生が参加した2019年度最後の夏目批評研究ゼミのこと

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 2019年12月18日の、今期最後の夏目ゼミ批評研究は、学習院の高校生が6名聴講にきた。

 この回は発表者がおらず、僕がアドリブで「ものを考えるとはどういうことか」という基礎的な話をした。手塚論で『火の鳥』を論じた時、手塚の他の作品系列(歴史)や彼の置かれた環境の差(戦争や人気)を比較し、作品以外の要素(当時自分を振り返ることを自伝的マンガや対談で語っていた)を引き入れて「自己模倣」という言葉(概念)に抽象化し、さらにそこから他の「自己模倣」と比較するという論理の階梯の変更について話した。具体的な対象から抽象化していき、他の対象と結び付けて抽象度をあげて普遍性を高めていく過程についての話である。

 そこから、ものを考える時、Aについて考えると、じつは非Aを排除していることについて。そのことに気づかずにいると、Aの中心や「本質」にばかり意識がいって、非Aやそれとの境界を忘れる。でも、それこそを考え比較しないと議論は検証性をもたない。学生はけっこう、この傾向に陥ってドツボにはまる人が多いので、毎年このことについては何度も触れているのだ。

 この原理を、Aを「文化」として、どう比較対照し、どんな言葉を選んだらいいか学生に質問した。高校生達の反応はすごく優秀で、「文化」とは何か聞くと、一人が「人が手を加えること」と答え、また文化ではないにものは何かに対して「自然」と答えた。とてもいい答えだ。

 さらに対照ではなく類縁概念として「文明」を出して議論したが、高校生は活発に答えてくれた。文化・文明を考えるために、○○文化、○○文明の例をさがさせると「元禄文化」「化政文化」「ギリシャ・ローマ文明」「マヤ文明」などの例を次々出してくれた。そこで文明と文化の関係について、文化<文明、文化>文明、文化と文明が重なる部分をもつ二つの円という三つの可能性について考えてみた。芸術と大衆文化についても質問があって議論できた。

 写真はそのときの板書。これだけだと何のことやらわからんと思うが、そういう過程を重ねて書いてある。今年のこの回は、今まででももっとも充実した回のひとつだった。楽しかったなあ。

 コメントシートを学生たちに書いてもらったが、高校1年の人が書いたものには「文化」が「目に見えない制度であることを再認識した」とあり、最後に「夏目先生の自身のマンガ批評をふりかえるのも楽しかった。先生の批評は表層批評と理解してよろしいのでしょうか?」とあった。むむ、恐るべし!

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