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夏目房之介の「で?」

映画『アニメ師・杉井ギサブロー』

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珍しく興味をひかれて試写会に行った。

石岡正人監督『アニメ師・杉井ギサブロー』
http://rengo-tsushin.com/modules/movie/index.php?page=article&storyid=2285
http://kumakini.blog.fc2.com/blog-entry-280.html

大変興味深く、飽きずに観た。1940年生まれ(ちょうど僕の10歳上)で、小学校5年でアニメーションをやると決意し、マンガは小学校卒業と同時に卒業したという杉井は、18歳で東映動画に入社。フルアニメの東映劇場アニメに参加し、やがて虫プロ入社。そこで手塚に深い影響を受け、亡くなったときは「父」を失ったような寂しさだと語っていた。虫プロで『悟空の大冒険』『どろろ』など、先鋭的なアニメ表現を追及し、やがて独立してグループ・タックを設立し、一時期放浪の旅に出たりしつつ(途中で『まんが日本昔話』はやっていたようだ)、『銀河鉄道の夜』を作り、今も『グスコーブドリの伝記』を製作中。72歳で、精力的だ。
杉井の人となりは魅力的で、ハンドカメラの不安定な映像はリアリティを感じさせる。彼のアニメ人生を追うことは、そのまま戦後アニメ史の一側面をたどることになる。したがって、手塚治虫、大塚康夫、山本暎一、りんたろうなど、僕でも知っている「アニメ史上」の人物たちが、次々出てくる。興味のある人にとっては、いっときも聞き逃せないような話が、あまり明瞭でない発話で語られることがあり、また杉井本人の言葉が雨の音で聞きずらかったり、そこはできればクレジットで補足してほしかった気がする。

中で、虫プロの『アトム』で低予算を提示したために、その後のアニメ製作現場の窮状恒常化を招いたという言説も出てくるが、虫プロ代表取締だった人が「最初は55万だったが、4~5年で250万になった。努力はした」とも発言している。もともと、手塚虫プロだけに責任を押し付ける議論には無理があり(だって、その後の人たちは何もできないできた、ということになるわけでね)、津堅さんの調査でも疑義が提出されている。むしろ出資者たちが富の分配を製作サイドに廻さない構造を作ったってことではないのだろうか。

でも、全体はとにかくアニメ現場の職人的な情熱と創作意欲に焦点の当たったドキュメントだった。杉井の発言で印象に残ったのは、「当たらなければしょうがない。エンターテイメントなんだから。でも、誰も当たらないと思ってるもので当てたいよね」という言葉。彼のスタンスを示している気がした。

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