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夏目房之介の「で?」

船曳由美『100年前の女の子』

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バリ滞在中に友人の成瀬さんから借りた本がある。その1冊が船曳由美『100年前の女の子』(講談社 2010年)。驚くほど地味な装丁で、もし書店で目にしてもまず買わなかっただろう。ちょっと今の本とは思えないが、昨年6月刊である。日本で探してあらためて買ったら、すでに昨年12月に7刷とある。売れているのだ。
この本は、平凡社「太陽」に創刊から参加した編集者(のちフリー)船曳由美が、彼女の祖母の話を再構成したドキュメント的作品である。主人公の寺崎テイは、明治42(1909)年に、栃木県足利郡筑波村大字高松に生まれ、2009年に百歳を迎えた女性。生まれてすぐに生母と別れ、やがて養女に行き、再び寺崎家に戻る。が、父の後妻の実家が、彼女に家を継がせないことを条件に嫁入りを許していたため、彼女は足利高等女学校卒業後、東京に出て、働きながら製図学校に通い、自立する。
本書は、彼女が過ごした農村の暮らし、養女時代の辛い体験、尊敬する彼女の祖母の言動、家や村の人々の日々、女学校や東京での生活を克明に記述する。そして、そのほとんどがテイ自身の視点から書かれる。その意味で、一種の小説なのだが、記述はそれだけ臨場感に富み、当時の農村共同体のありようが、読みながら目の前に見えるように感じる。内容自体も地味な話なのだが、ひきこまれる。わずかに百年前の農村に、いかにしっかりとした共同体が生き、動いていたかが、体験として読めるような気になる。さまざまな祭儀や慣習は、今、我々がバリの農村に垣間見るような異郷的なそれとほとんど同じだったことがわかる。

船曳自身の記述によると、自分のことを語ることのなかった祖母テイが、米寿の頃から昔の話を語り始め、ときにその養女時代の哀しさと怒りなどは、耳をふさぎたくなったという。が、そこにはじつに豊かな民俗誌がつづられ、結果、この本を優れた物語にしている。それはまた、生涯ついに自分の生母に会うことのできなかった「母恋い」の物語でもあった。

本書には、テイの祖母の、見事な見識など、目を見張るような記述が多くあるが、ここではテイの女学校時代の記述を紹介したい。農村の、そこそこの大きな家だったとはいえ、娘を女学校に通わせるのは珍しかった時代に、彼女は女学生となり、少女雑誌を愛読するのである。

〈授業の合間は、雑誌の話ばかりしていた。読まれているのは「少女の友」か「少女倶楽部」だったが、「少女の友」の方が人気があった。「少女倶楽部」は少し堅苦しく、夢がなかった。/明治四十一年に創刊されたという「少女の友」は、夢見がちな少女の夢をさらにかきたててくれた。子どもではもうない、しかし大人にはまだなっていないこの年ごろの女の子は、ただ“夢”という夢に憧れていた。だから、哀しい物語や、お友だち同士の手紙のやり取りとか、美しい上級生に憧れ、ため息をついて見る、といったシーンに誰もが夢中になっていた。[略]画家では何といっても竹久夢二か高畠華宵で、クラスもこの二派に分かれていた。〉(同書 238~239p)

何かの「夢」ではなくて、夢をみることそのもの、夢見るための「夢」に憧れた、という意味だと思うが、女学生という、農村の少女と比べればはるかに抽象的な居場所が、おそらく夢見るための基盤だったのだろう。女学生が夢見るようになるのは、したがって近代教育においてだったはずだ。そこに少女雑誌の果たす役割があった。テイは、1冊40銭の雑誌を買うことはできず、友だちから借りて、教室で授業前に読んだらしい。この意味でも、学校は少女文化の揺籃の場だったかもしれない。だが、テイと、同じ地域から通っていた友だちは、少女文化を成り立たせる都会とは隔絶した世界の住人だった。

〈二人の帰る村は、なんと少女雑誌の世界とは程遠かったことであろう。/雑誌の中の少女小説の舞台が農村であったり、その女主人公に百姓の娘が出てくるということはけっしてなかった。あくまでも都会に住んでいるお嬢様の話で、その家に行儀見習いか何かで来ているねえやの故郷として、農村が描かれているだけであった。〉(同書 239~240p)

ここに、テイ自身ではなく、テイの生活と心事を推し量る筆者船曳の顔が垣間見えるが、祖母への思いが、ただのルポルタージュ以上の感傷を与えている。ところで少女小説の主人公とテイには似ているところがあった。生母がいないことだ。ヒロインたちには実の母がおらず、ほかの人に育てられ、ようやく探し当てた母は結核で、病床でようやく会えるのだ。学友は、こんな話に泣きながら、自分には母がいることを、少しうらしめしげに語ったりする。が、じっさいに母がおらず、一度も会ったことのないテイは、ただ黙って聞いているだけだった、と書かれている。
母恋い物語は、戦後60年代、恋愛が少女マンガの主題の王座を占めるまで、少女文化の大きなテーマであり続けた。が、大正年間のこの頃、それはほんの少し別の場所であれば、当たり前のように存在したものだったのだろう(もちろん、戦後のそれはまた、戦争によるリアリティを得ていたはずだ)。少女マンガの母恋いが姿を消す60年代、まだ都市と農村の隔絶した対立構図ははっきりとあったが、高度成長で共同体の崩壊もまた明確になっていた。
本書は、こうして戦後少女マンガの歴史にもつながる、少女文化の証言という側面も持っている。

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