備忘録2 江戸時代のコマ割表現
上図 平瀬輔世(ほせいorすけよ)『天狗通』(1779(安永8)年) 手妻のやり方を解説したこの図は、偶然上野演芸場に置いてあった手品(手妻)の伝授本のコレクターによるパンフレットで見つけたもの。資料としては藤山新太郎『手妻のはなし 失われた日本の奇術』(新潮選書 2209年 149~157p ※この本には図版がない)。
下図 歌川貞房画 吉田屋文三郎『けんしなん』江戸後期 こちらは学生の持っていた古書パンフレットから。ジャンケン的遊びのハウツー本みたい。
つまり、江戸期のHow To本には、こうしたコマ割り表現がけっこうあったようなのだ。上図『天狗通』を初めて見たときは本当にびっくりした。
コマを大小に割り、アップを含む画像の切り取りを行い、非常に近い時間幅の時間分節に沿って効率的に構成されている。形式的には現在のマンガのコマ割りとかなり近い。下図『けんしなん』のほうもアップの分節になっている。どうやら江戸期には、早い時期からハウツー本が流行していたらしく、その領域ではこうしたコマ構成がありえたらしい。
これをどう考えるべきだろう。おそらく、少なくとも江戸期日本の画像による表現にとって、こうしたコマ構成は普通に(どこまでフツーだったかは、他の例を知らないので、わからないが)ありえたと考えていい。いつ頃か知らないが江戸期にスゴロクは成立しているから、コマ割りと時間分節はもちろんあったし、自在な線によるコマ割りは、空間分節としてはけっこうあったと思う。
問題は、こうした表現が、僕の知る限り「物語表現」には使われなかったらしい、ということだ。形式的には表現可能な画像構成法だが、物語表現には結びつかなかった、と考えるのが妥当かなと思う。つまり、我々が近代以降に発展したと見なしている複数コマの自在な構成は、近代的な物語との結合で一気に展開したものだということなのだろう。映画の登場も、やはり重要な契機ではなかったか。
もうひとつ、ここであらわれている「アップ」(という映画用語によって指し示されている画像効果)が、映画的なそれとどう異なり、画像を切り取るという効果が、どんなものだったか、ということだ。ここでは当然のように背景が消されているもの注目される。画像で何を効果的に見せるか、という角度から考えていく必要がある。
また、『天狗通』は18世紀後半なので、テプフェールより早いのである。これも課題だ。
この問題はずっと気になっていたが、何せ実物も見ておらず、他にも例を探せていないので、多くのことが語れない。ただ、マンガのコマ構成が近代以降に初めて生じたかのような錯誤を持ちがちな自分への相対化の契機として重要なものだと思っている。どなたか、もっと似た例など知っている方がいたらご教示願いたい。