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夏目房之介の「で?」

現代マンガ学講義(5) マンガを成り立たせるもの(3)

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4)コマの前史

広い壁面に展開する絵やレリーフを枠取りして分節する形式は古代から存在 紀元前のエジプトなど

枠を使わず時間分節を絵と文字で行う形式も同様 西洋中世のタペストリー 12c.日本の絵巻物など

絵巻物では広い空間、建造物などで分節(「時間」は長短のレベルで存在する 運動形象、文字なども加担

一画面内の分節する枠構成も古来存在 そこに叙事・伝記的推移を展開するコマも 装飾と時間分節

参照 佐々木果『まんがはどこから来たか 古代から19世紀までの図録』オフィスヘリア 09

11 平瀬輔世『天狗通』寛政11(1799)年 手品のやり方をコマ割りで4pにわたって解説

手元、顔のアップと全身を背景なしで連続描写 文字で経過を説明 時間分節の厳密性を強調するため?

形式として、近代以降のマンガとほぼ変わりがないが、この形式で「物語」化は普及しなかった?

西洋「近代マンガ(BD)」の父? テプフェール 佐々木本参照 横長に続くコマ ナレーション的言葉

テプフェールは、ページとコマという単位を用いるにあたって、革新的な手法を用いる。それは、現代の用語でいうならば、コマとコマのモンタージュを自覚的に行ったということだ。[]旧来のコマ割り表現では、物語の主要場面がひとつの絵に描かれ、多くの場合は時間順に並べられていく。つまり、先に存在している物語が主な場面に「分割」され、個々に独立した絵と文字で表現され、均等に並べられていく。/テプフェールの作品は「分割」ではない。1つのコマから次のコマの内容が生み出されていく「生成」であり、その連鎖が結果的に一定の長さの物語となる。[]それは、現代の多くのまんが家が絵コンテを書く作業と基本的に変わらないはずだ。/だからテプフェールの作品では、コマとコマの「関係」や、絵と文字の「関係」が意味を生み出す。[]なお、テプフェールがコマ割りまんがを描き始めた1820年代は、ヨーロッパにおいて視覚文化全般が大きく変動し始めた時期にあたる。映画やアニメーションの原理を導くことになる目の残像現象が本格的に研究され、[]ニプエスは同じ1820年代に写真撮影の実験に成功しており、1839年にはダゲレオタイプが発売されて写真時代が始まる。そんな中でテプフェールは、1827年に最初のまんがを描き、1833年に初めて出版される。[]まんがの歴史は、まんがの単独の歴史ではありえない。]佐々木果 前掲書 33p 参照 前掲『まんがはどこから』

 西洋近代における視覚文化変容のうちに現代マンガ的コマ(モンタージュ)の形成を位置づける

モンタージュは、人物(キャラクター)の「表情(心理)」「動作(運動)」及び「風景(場所)」の変化を辿る

参照〈モンタージュ (montage) は、映画用語で、視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法の事。元々はフランス語で「(機械の)組み立て」という意味。映像編集の基礎であるため、編集と同義で使われることも多い。〉「ウィキペディア」 ※ここでは、コマとコマの連続で心理、運動、場の変化の意味を生成するもの

・「動作(運動)」の分節は、すでに近世日本でも現在のコマのような分割で実現(中世絵巻の異時同図も

・「風景(場所)」の分節は、絵巻の大枠の場面転換(海→山)、建造物を使ったコマ的分節はあるが、同一場所から連続的にコマを追って変化するモンタージュはあまり見られない? 12『信貴山縁起絵巻』と模式図

13『源氏物語絵巻』模式図 図14山東京伝『人間一生胸算用』寛政31791)年 ページを割る雲形コマ的分割による場面転換

・「表情(心理)」は「北斎漫画」的な変化はあるが、展開する事件と並行する形でのモンタージュは見られない? 15『北斎漫画』「百面相」天保21819)年 図16同「縦横」天保5(1834)

 問題は、これら三者が相互に連携して「事件」の生成をモンタージュするコマ構成=関係が生む意味?

・三者を連携させる項としての「人物(キャラクター)」はコマごとに多数、同一人物として登場

 →近代マンガ成立の鍵としての「人物(キャラクター)」? 同一人物の心理、動作変化のモンタージュ

●近代マンガ的複数コマ表現を要素分解すれば、各要素については先行例がみられ、突然成立したものではない。文学、演劇などを含めた「視覚文化」変容の中で「関係」の意識変化の反映として、印刷媒体と流通の革新とともに、いわばコマの「編集」意識が変化したのではないか?

※近世黄表紙をマンガの「源流」とみなすシュテファン・ケーン「江戸文学からみた現代マンガの源流 -合巻『鬼児島名誉仇討』を例に」(ジャクリーヌ・ベルント編『マン美研 マンガの美/学的な次元への接近』醍醐書房 02年所収)は、非連続性を強調することで近代と前近代の関連を無視する傾向への批判が行われている

5)西洋「コマ」輸入 チャールズ・ワーグマン『ジャパン・パンチ』文久2(1862)年~明治20(1887)

外国の四コマ漫画が日本で最初に紹介されたのは、イギリス人チャールズ・ワーグマン(一八三二-九一)が横浜で刊行した『ジャパン・パンチ』(文久二年~明治二〇年)である。[]コマ漫画は少なくしかもそのほとんどは二コマか三コマで、六コマが少しある程度で四コマは非常に少ない。〉清水勲『四コマ漫画 -北斎から「萌え」まで』岩波新書 09年 20p 17「ジャパン・パンチ」より「ある女性問題(F.ベアトの私生活断面)」1872年 18同「シェーカーを振るバーテン」2コマ 1874年(ともに清水『漫画の歴史』岩波新書 91年 38,35p) テプフェール的な意味での表情・動作・風景の分節は行われているように見える

19玉蘭斉貞秀『横浜開港見聞誌』文久2(1862)年 『ジャパン・パンチ』創刊同年

西洋人の綱渡り遊び→落下 見開きページ=1コマの「事件」 これ以前に不可能だったか?

想像力としては可能だったように思えるが、ページ開きによるコマ的展開という意味で新しいか?

20米マンガと思われる4コマ「百貫目の力持」同年74日号 21今泉一瓢「無限の運動」『時事新報』明治23(1890)年(清水『四コマ漫画』27p)〈『時事新報』最初のオリジナル四コマ漫画〉(同25p)「無限の運動」は927日号 「無限」に続くかと思われる人物の「運動」を「編集」 文字、コマ枠のないコマ表現

コマの「間」を読むおかしさの成立? 継続する日常時間の切り取り 近代的なコマの輸入を見ていいか?

「漫画」と「時事新報」〈『時事新報』はいつから「漫画」を使いだしたのか。同紙の明治二三年二月六日号の社告の中に「漫画」「寓意漫画」という言葉がある。これこそが「カリカチュア」の訳語としての「漫画」に違いない。というのは、今泉一瓢が三年間の遊学を経て米国より帰国した時期と一致するからである。〉同25p

こののち「物語」は文字によって担われ、「絵物語」形式が「物語」的表現を形成する

(近代以前からの文字・絵の混交表現を印刷媒体の中でコマ枠的規範で再編集した?)

→「挿絵小説」「絵本」「漫画」の曖昧な境界 →明治29(1896)年以降の映画輸入の影響 「活動漫画」

22山田みのる『子供絵噺・忍術漫画 真直太郎』磯部甲陽堂 大正9(1920)年 竹内オサム編 少年小説体系別巻1『少年漫画集』三一書房 88年 52~53p 23岡本一平『映画小説・女百面相』大正6(1917)年~ 清水編『岡本一平漫画漫文集』岩波文庫 95 36~37p

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