ことば
「ことば」って何だろう。
学習院でゼミを3年やって、いちばん考えるのはこのことだ。
「ことば」は、ふつうに会話で使っているし、携帯メールなどで、日常的にやりとりしている。日本で育っていれば、日本語と呼ばれる言語を使って、お互いに「意味」や「心理状態」が伝わる。少なくともあるレベルで「意味」や「心理状態」が「ことば」によって共有されているからだ。
ただ、「お前、疲れてるよ」ということばには「相手が疲れている(そう見える)」という「意味」以外に、その場で行われる非言語的交流による「含意」がある。たとえば「少し休めよ」といういたわりの気持ちだったり「言ってることヘンだぜ」という注意だったり「いい加減黙れよ」という苛立ちだったりする。「ことば」は、日常的な場面で必ず「意味」以外の何かを、何らかの心理状態の交換として二重化していて、メールだとこの交換が不明確なために誤解を産んだりする。「ことば」にならない無言の、そして重要な伝達する何かが存在するのだ。
こうしたことに自覚的になると、「ことば」と、それが示そうとする何かの間を、イコールで結ぶことがじつはできないことも自覚する。
もちろん「ことば」の種類によって、イコール度の高そうなものと、そうでないものがある。それらがさまざまなレベルで文として組み合わさっている。「いぬ」という音は日本語では「犬」「居ぬ」などの漢字を連想させ、「犬」はある動物を指し示す名詞なので、イコール度は高い(指示する度合いが高い)。が、「もやもやするぜ」なんて「ことば」の文は、「もやもや」という擬態語の意味する対象は実体ではなく、「する」という動詞は何にでもくっつくので、それ自体の対象を持たず、ただ文の意味を形成する「働き」があるだけだ。「ぜ」にいたっては、文の為す気分を強調するだけだし。
名詞の中にも、「概念」とか「時間」とか、指し示す「意味」ははっきりしていても、具体的な実体ではなく抽象的な「意味」の塊を示すだけのものもあって、「意味」なんかもそうだ。これらがイコール度を高めるには、文中で同じ使われ方をして、それが共有される必要があって、そうでないと混乱する。
要するに、「ことば」には日常会話的レベルから抽象議論的レベルまで、さまざまなレベルでの使い方があって、そのことに自覚的でないと、日常会話には困らなくても、議論や研究には混乱をもたらす。
「ことば」を、日常的なレベルから、抽象的で議論可能なレベルに移し替えるには、こうした「ことば」の性格やしくみ、「意味」する対象との関係などに自覚的である必要があることになる。研究系の「ことば」が、心理状態をできるだけ排除し、中性的なふるまいをしようとするのは、仮にもせよ、そこに議論の可能な、抽象的な「意味」を交換できるレベルを設定したいからなのだ。もちろん、そうして書かれたかのような文でも、全体としては心理状態を「含意」している場合はよくあるにしても(すごく嫌みだったりする)。
何で突然こんなことを書いているかというと、なかなか自分の持っている主題に肉薄できず、情報を集めることはできても、それを構築して表現することができない学生たちの多くに、「ことば」にはレベルの違いがあり、「意味」と「ことば」には単純なイコール関係すらじつはない、ということをうまく理解できない傾向があるように思えるからだ。
それに対して、すでにそうしたレベルを理解し、一応取り扱っている人がやろうとするのは、たいてい「こういう本を読め(知識)」だったり「ここの問題の取扱は間違っている(論理や思想性)」だったりする。が、本当はそれだけでは何も解決しないだろうと僕には思えてならない。
僕はといえば、本当にぼんくらな落ちこぼれだった子供時代から、自己流で「ことば」を扱って考えてきたので、そもそも「ことば」をどうしていいかわからない、という迷いや悩みは、わかる気がする。「わからない」状態は「わかる」のだ。問題は、そうした迷いや悩みに対し、どうすれば彼らが自分たちの「ことば」と出会い、レベルの違いや扱い方に自覚的になるきっかけを与えられるのか、ということなのだ。
僕は、もちろん学術的にはまったくプロの教授ではない。なんちゃって教授であり、素人である。なので、学術的なレベルで参照すべき知識や言語やその体系性を教えることはできない(今から勉強してできるようなものではないし)。できるのは、「ことば」との関係を自覚してもらい、どうしたら「ことば」を見出し、扱えるのかを自分で探る手助けだけだ。本当いうと、一見レベルの高い「ことば」をたくさん知っていて扱っているように見える「優秀な」学生たちにとっても、このことはかなり重要なことなんじゃないか、と思える。難解な「ことば」でわかったつもりになり、それで中性的な場所を確保できたと思い込んでも、自分の心理状態を処理できていなかったり、自分自身が見えていなかったりする場合も、よくあることだから。
このところ、そんなことばかり考えているのですね。