ブイスー氏学習院講演4
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夏目「ありがとうございました。大変刺激的で興味深い発表だったと思います。こうした話を考えるとき、僕は海外や外国の人たちと話していていつも感じることを思い出します。それぞれの言説空間の違い、知的文脈の違いを考えなければいけないという、とても難しい問題についてです。ともあれ、時間の許すかぎり質問を受け付けてみたいと思います」
小田切博氏「コンテンツ分析という言葉は日本ではホームページやアクセス解析というシステム系のイメージになりやすいのですが、ブイスー氏がどんな意味で使われたのか説明をお願いできますか」
ブイスー氏「英語でいうコンテンツ・アナライズです。文学論のメソッドでBDにも応用されます。ストーリーの隠された意味を見出すもので、たとえば『GTO』のコンテンツ分析でいえば、男女の関係性を分析する、という意味です。キャラクターを分析すると、征服者は女性キャラクターで、望まないセックスへの恐怖を持っている。抑圧されるのは男性です」
小田切氏「テキスト・クリティークということでしょうか?」
ブイスー氏「テキスト・クリティークといってもいいかもしれませんが、さまざまな定義があるでしょうから、はっきりお答えできません」
質問者「『銃夢』が好きなので、質問なのですが、ドクトル・ノヴァは白人・日本人という枠組みの中でどんな位置づけなのでしょうか」
ブイスー氏「ガリィが死をかけて戦う相手ですが、負け続ける。負けるたびに強くなって戻ってくる。ノヴァはガリィを造り直して再生します。ガリィにとってノヴァは父性を象徴し、またガリィはノヴァのピグマリオンです。ガリィを大人にしてくれる存在で、日本にとってのアメリカではないでしょうか」
奥田鉄人(ロボット)氏「『銃夢』のようなマンガ、終末後を描くSFがBDにはない、といったお話でしたが、メビウス、ビラルといったSFを描くBD作家は世界的に影響を与えています。メビウスは大友克洋に影響を与え、木城ゆきともBDの影響を受けています。それは絵のタッチや世界観にも見られると思うのですが、日本だけの特性かどうか。それについてはどうお考えでしょうか」
ブイスー氏「メビウスとビラルは同じカテゴリーでしょうか。フランスではビラルはリアリストとして知られ、彼のキャリアの中でSFは後半になってあらわれたものです。メビウスは作風の変化も大きく、ジャン・ジローの名で『ブルーベリー』という西部劇を描いています。メビウス、ビラルのSFの特徴は「意味」が失われている、存在しない、ということです。大友の『アキラ』は、フランスで最初に完全に翻訳された日本マンガですが、大変人気があります。これは90年代のフランスのメンタリティの変化、フランスの若者の価値観の変化に呼応しています。同じ波長を持っていたといえます。共通するのは「意味の喪失」です。BDになくて大友にあるのは、終末後の世界ですが、このテーマは日本でもかつては「意味」のあるものでした。『はだしのゲン』も終末後の世界を描きましたが、ストーリーはシンプルで、子供たちの努力で破壊された世界を生き延び、世界は再生され、未来に向かって生きることになります。『アキラ』の若者たちは、存在し続けるためになぜ努力しなければならないのかわからないでいます。金田は、本来はポジティブな存在であるべきですが、テツオに殺された友人の復讐で動機づけられるだけで、戦い続けても世界は再生されません。最終的には意味のない世界で終わるのです。メビウス、ビラルのSFとも共通する『アキラ』の雰囲気は「ニューエイジ」のものです。ビラルの『神々のピラミッド』などもそうですね。影響関係についてはいえませんが、共通するエスプリがあるのは確かです」
質問者「『銃夢』の日本の集団的トラウマや白人支配という要素がフランスで人気があるのは、どういうことなのか。その場合、ブイスー先生の立ち位置はどこにあるのでしょうか?」
ブイスー氏「私は自分の立ち位置をどこにも置いていません。これ[『銃夢』のことか]はフィクションだととらえていて、私はその外にいると考えています。すべてのマンガに共通することですが、日本マンガがなぜ世界で受けるのかといえば、まず『銃夢』のようなサイバーパンクというジャンルが存在せず、フランスにとってまったく新しい文化的商品だったということ。『銃夢』のような複雑さはBDでは見ることができませんでした。もうダメだと思ったとき、再び蘇るようなドラマティックな展開は、BDを凌駕しています。つまり技術的に優れている。欧米における日本マンガの成功の多くは技術的な側面に支えられていると思います。『銃夢』はフランス版で2千ページほどあります。仮にBDで同様のものがあったとしても、それほどのページのものはない。話の長さ、シナリオの複雑さ、劇的な優れた効果。『銃夢』では40ページごとにサスペンスがおきますが、BDではアルバム一巻ごとに終わるので、次はどうなるのか、という「引き」がない。さらに『銃夢』には普遍的な内容があります。暴力的な方法か平和的な方法か、といった問題の解決法をめぐる主題は普遍的なのです。中心的なテーマはアイデンティティであり、思春期や若者にとって共通の問題です。フランス人にとっても普遍的なのですが、同時にその主題の扱い方はエキゾティックです。『GTO』でのクラスの中でのイザコザは日常的にありうる傾向で、その意味で普遍的です。BDでも高校や学校を扱う場合があります。しかし、フランスの学校の日常をそのまま描いていてもつまらない。どうせなら同じエピソードを異国・日本(エキゾチック)という舞台装置のなかで、たとえば沖縄へ修学旅行をする話などで語るマンガのほうが、思春期の子供たちにとって刺激的で面白いことは明白です。」
質問者「2点あります。日本マンガに特徴的なジャンルとして終末後の世界とメカをあげられ、終末後の世界についてはお話を伺えました。メカについては、それはどこからきたのでしょうか。また、フランスの民族的トラウマが語られるとすれば、どこでしょうか」
ブイスー氏「フランスにおいて、20世紀の歴史でいえば、日本人よりも重要性や激しさでは弱いでしょうが、第一次、第二次大戦ということになります。第一次大戦ではフランスは戦勝国でした。戦争としてはトラウマだが、勝ったということでそれを乗り越えたと思われている。そこでは人々の死は、尊い犠牲死ととらえられます。第二次大戦では戦勝国ではありませんが、フランス人には「勝った」と意識されています。じっさいにはアメリカに解放されたわけですが、トラウマとしては弱いでしょう。
メカについてですが、これももともと「意味」のある話でした。私が思い出すのは『鉄人28号』です。白人による世界支配への戦いで主人公の父は殺され、主人公の若者は強い気持ちで戦いに勝利します。作者の横山光輝は大戦中小さな子供でした。外国人が来て日本を支配するのを見ています。父の世代は外国人と戦って負け、物語を語ることで、そのトラウマを乗り越えていきます。その物語の中で、外国人が使っていたようなすごい機械を使って戦いを挑み、勝利します。メカ・マンガというのは、外からの攻撃、すごい兵器、父を失った若い主人公という要素を備えたものだと私は考えています。『鉄人28号』が持っていたような「意味」を失った作品が『エヴァンゲリオン』ではないでしょうか」
夏目「残念ですが、時間切れです。まだまだ質疑は続けたいところですが、すでに懇談会に移動するぎりぎりの時間なので、これで終わりたいと思います。あらためて、ブイスーさんと通訳してくださった大津雅美さんにあらためて拍手をお願いします」