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夏目房之介の「で?」

大阪の井上雄彦展

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金曜日、雨の大阪、天保山サントリーミュージアムに井上雄彦展を観に行った。
上野の評判は聞いていたが、そのあまりの混雜ぶりに恐れをなし、熊本も見逃し、結局大阪でようやく観た。
なるほど、作家個人が面白がってやれば、こういうマンガ展が可能なのだ。コマとテキストを使って展示空間を物語の時間に転化して、でもそれだけでは面白くないところを、ちゃんと展示空間を歩く鑑賞の面白さにもしていて、娯楽なんだけど、同時に現代芸術でやりそうな空間の使い方もしている。何よりも、白黒を基調とした壁面構成と屏風型パネルとを縫う暗い通路と明るい開放空間が部分的に地獄めぐりのような効果を織り込んでいたり、マンガというメディアの面白さをいかに展示として立体化するかの工夫が見事だった。
最初から最後まで、飽きずに観、「読む」ことができた。

とくに、中盤の「滝」の巨大なパネルのあたりの構成が見事で、そこに入ったときには、まるでほんとに滝の下にいるようだった。顔をめぐらすと、そこからぽつりぽつりと幻想の画像が浮かび上がり、マンガだと不可能な距離の空け方で、このあたりから武蔵の臨死体験的な夢幻の世界に入ってゆく。父と母に出会ってゆく空間は、ややキリスト教的なイメージを感じた(あの母はマリアみたいだ)が、じゅうぶんに楽しめた。

じつは、屏風型のパネルでマンガのページやコマの「読み」を再現してみたいという夢想は、99年にパリ日本文化会館を皮切りに国際交流基金主催日本マンガ展をやったとき、企画段階で持っていたが実現しなかった。もちろん、ここまで完成された構想ではなかったが、僕の中では既視感めいたものがあった。そうそう、マンガを展示にするなら、こういうことだよね、という・・・・。

ただ、井上雄彦はマンガの絵はうまいが、アカデミックな意味ではデッサンをきちんとへていないので、とくに二枚目の顔は皆同じバランスで、しかもうつむいたり、斜めの顔で表情を作ると微妙にデッサン的な狂いを見せる。傾いた顔の面に、傾いていない目鼻口が並んでしまったりするのだ。それが強調されるのは大きな画面で見るからで、じつは離れて見ると目立たないし、印刷された図録では、ほぼ気づかない。絵画展での鑑賞の感じで観ていると、その点は気になる。もうひとつは、背景を大きな画面でもたせるために細密に描き込んでいるので、近くで観ると背景が浮き上がり、人物の手前に来てしまい、妙な遠近感になる。これも、じつは遠くで観たり、印刷されるとまったく気にならない。このあたり、絵画の展示とマンガとのメディアの違いを感じさせる。

また、全体を物語として進める「言葉」が、空間のあちこちに散在し、通常の絵画展ならかなり前衛的な構成(印刷文字を使ったポップな表現とか)になるかもしれないところ、まったく自然に受容できたのは、やはり僕らのマンガ・リテラシーが発動するからだろう。
それやこれや、マンガについても色々考えさせてくれる、むちゃくちゃ面白くて、刺激的な展示でありました。

ちなみに翌日は京都に移動して日本財団APIのミーティングに半日参加して、ちょこっと講演して帰りました。

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