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夏目房之介の「で?」

花園大学集中講義終わり

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午前10:30~午後5:50で二日間のほとんどバトルな集中講義。
今回は、まずは学生諸君にマンガと聞いてどんなイメージを持つかを聞き、雑誌と単行本、どちらを読む習慣かを聞きながら、それが日本の媒体の特徴でもあることを話し、アメリカン・コミックスやBD、タイなどのマンガを見せて、世界にはいろんなマンガがあることを知ってもらうことから始めた。
そのあと、中澤潤さんのマンガ・リテラシー研究の論文を紹介しながら、マンガを読む能力の話。『ドラえもん』の成立史を、マンガ青年化の過程とあわせて解説。アニメ、マンガ連動とリテラシー教育的な側面、読者・受容者の成熟を時代を追って話す。またマンガの表現を「絵・コマ・言葉」と、その相関関係で考える視点の提示。「読み」の問題を考えるために、三宅乱丈『ぶっせん』の「夜話」を見せて一日目終了。
二日目は、『ぶっせん』をめぐる「読み」の多層性の話から始め、井上雄彦『リアル』冒頭の、表紙から扉の絵、作品内のコマを追ってゆくことで、文脈的に生成してゆく「物語」を示し、コマの問題へ。その後、映像とマンガの媒体の違いと、表現の違いに移る。「まんがビデオ」版士郎正宗『仙術超攻殻オリオン』冒頭を見せ原作と比較。さらに個人制作アニメ、井端義秀『夏と空とぼくらの未来』を見せ、マンガとアニメ、映像化、そこで起こるコマや表現の違いを語り、なぜ映画、アニメとマンガはいつも比較されるのかをアニメや映画とマンガ、コミックスの歴史的な関係にも言及して語る。最後は、95年の「世界まる見え テレビ特捜部」の米国の日本アニメおたく特集を見せ、草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』などを参照しつつ、現実の普及状態を解説。スヴェトラーナ・シマコヴァの非日本人マンガ『ドラマコン』を見せて、日本人以外が描いてもマンガはマンガだろうかと問い、マンガという領域の外延の曖昧さを指摘して、レポートを提出させて終了。
今回ネタは、『リアル』の物語生成以外は、いろんなところで使ってきたものを組み合わせての講義だったが、学習院の講義でもこの二年間課題だった学生と語りつつ講義を進めるスタイルをかなり実現できたので、けっこういいデキだったと思う。
花園大学も、創造表現学科なるものができ、マンガ・アニメの講義やゼミも充実してきたせいか、学生の質も上がり、反応もよかった。

が、疲れた。
講義終えて、翌27日は奥さんと京都観光。広隆寺で仏さんを見て、錦市場で買い物して帰った。さすがに体が限界。やれやれ。
あとは年内の整理。単行本のゲラとか、シラバスはもう来年にするのだ。

良いお年を。

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