2009後期.9. 現代マンガ学講義15 マンガの定義2 レジュメ
3)定義の対象
古代~中世の漫画(的なもの) エジプト、中国、日本(絵巻物) 佐々木果(ササキバラ・ゴウ)『まんがはどこから来たか』オフィスヘリア(私家版) 09年 6p
『文芸春秋デラックス 日本の笑い マンガ1000年史』75年9月号 「滑稽と諷刺の精神」 「鳥獣戯画」 図1 法隆寺天井落書き、正倉院文書落書き「大大論」(奈良時代)
カリカチュア(戯画) 『現代漫画大観 東西漫画集』中央美術社 1928(昭和3)年 4p
図2 レオナルド・ダ・ヴィンチのカリカチュア 同書5p
『まんがはどこから来たか』24p 「カリカチュアの時代」 図3 ホガース「ことの前後」1736年 『まんがは・・・・』17p 図4 同書「カリカチュアの時代」政治諷刺のコママンガ 吹き出し 24p
コミック・ストリップ(BD) ロジャー・ヒル、小野耕世監修『アメリカンコミックス100年展』図録 キネマ旬報社 96年 図5 ビール増量ポスター(1903年) 図6 マクナマス『おやじ教育』(1941年) 図6 『ターザン』(1943年)
日本 清水勲 『漫画の歴史』(岩波新書 91年) 欧州~日本の「漫画」
図7 フィリポン『梨顔のルイ・フィリップ』(1831年) 清水『漫画の歴史』(岩波)4p
図8 「ジャパン・パンチ」『シェーカーを振るバーテン』(1874年) 同上35p
図9 土佐行秀『狂画苑』「百鬼夜行」 1770(明和7)年 葛飾北斎『北斎漫画』「百面相」 1819(文政2)年 同上22p 図10 本多錦吉郎『団団珍聞』(まるまるちんぶん) 「民犬党吠」 1880(明治13)年 60p
清水『図説 漫画の歴史』(河出書房新社 99年) 鳥羽絵、ポンチ、大正~昭和、劇画、コミック、MANGA 4~13p 明治 図11 北沢楽天 36p 大正 図12 岡本一平 48p
コミック・ストリップの影響 マクナマス『親爺教育』→麻生豊『ノンキナトウサン』53p 図13 53p
★清水漫画史におけるコマ漫画発展 図14 「コマ漫画の歴史」 清水勲監修『日本まんがの300年 漫画まんがマンガ展』図録 読売新聞社 川崎市市民ミュージアム協力 93年 58~59p
4)漫画史観 戦前の漫画観
〈レオナルド・ダ・ヴィンチは漫畫家ではありません。[略]此の人にして左圖の如きカリカツールがあると云ふのは人間性のある一面を物語るものです。〉ダ・ヴィンチ人物戯画 4p 〈オノレ・ドオミエは歐洲近代漫畫の鼻祖です。[略]彼の絵は人生に根ざした深味のある写実主義の芸術であつて、[略]自在に走らした線條のカリカツールはたとひ特性を現す為め人體の形を曲げたり長くしたり餘儀ない誇張法を用ひたとはいえ、人間其物の偽らざる姿だと云はれて居ます。〉ドーミエ「クリスパンとスカパン」 10p『現代漫画大観 東西漫画集』中央美術社 1928(昭和3)年
絵と漫画〈漫畫も純美繪畫も皆同じ繪畫であります。[略]純正繪畫は、唯美精神から生れ、漫畫は求眞の結果、出來たものであります。但し結果から見て、漫畫には多大のユーモアがにじみ出て居ります。〉池辺釣『すぐ出來る漫畫の描き方』崇文堂 1931(昭和6)年 「序」1p 〈漫畫と云ふものを一と口に云へばユーモアの藝術でありますつまり笑いのある繪と云ふ事であります、〉同上 「漫畫總論」1p
カリカチュア、漫画、ユーモア〈漫畫似顔[カリカチア]と云ふものは、漫畫總ての基礎工作となるものであつて、似顔畫が充分に描けなければ、子供漫畫でも、政治漫畫でも、映畫漫畫でも、完全には出來ないのである。〉序 〈漫畫と普通の繪とはどう違ふかと云ふと、普通の繪は真面目であるが、漫畫には何處か、お可笑味[おかしみ]がある。[略]普通の繪は眼に見える形とか場面とかを寫したものであるが、漫畫は、眼で見た形や場面も寫すが、眼に見えない形や場面をも寫すものである。[略]時局と言ふものや、内閣と言ふもの、迄も人間の形にして現してしまう、[略]漫畫とは以上のやうに、形のないものを自由に現し得る美術の一種であると云ふ事が出來るのである。[略]そこで私しは定義として、
(一) 漫畫は何等かの意味を目的としてつくられたる美術なり。(例へば時局批判漫畫、国策宣傳漫畫、娯樂漫畫、或は連續漫畫等を云ふ)
(二) 漫畫は「笑ひか」、「ユーウモア」かを伴ふ美術なり。(例へば漫畫似顔畫娯楽漫畫、批判漫畫、宣傳漫畫等の一部を云ふ)〉1~3p
〈漫畫の種類を大別すると、現在は左の通りである。
(A)政治漫畫(批判漫畫、宣傳漫畫)
(B)社會漫畫(日曜漫畫、雑誌挿入漫畫)
(C)連續漫畫(子供漫畫、大人漫畫)
(D)似顔漫畫(名士訪問、議會スケッチ)〉
下川凹天『漫畫似顔畫の描き方』弘文社 1941(昭和16)年 (元『漫画人物描法』1925(大正14)年) 3~4p
起源 日本固有文化論〈日本の絵画は、つねに物そのものの写実ではなく、観念の表示であった。 [略]/[文人画、屏風や襖の四季山水図を引き]ここに見るのは時の流れの描写であり、風景の変化を通じての作者の心境の物語である。絵に詩文をそえた文人画も、言葉と視覚の結合である。このような物語との結合は、絵が独立しないで、そのまま自己のジャンルを形成している点で、きわめて奇妙である。この奇妙な形態こそ、絵にかぎらず、音楽、演劇、文学を通じて、日本芸術全般に現われているものだ。それは日本の停滞した社会が、長く保存してきた原始芸術の総合性にほかならない。日本の芸術は、社会の未発達のために、それぞれが他から分離することなしに成長し、そのまま一つのジャンルに凝縮してしまった感がある。[略]/このような芸術の原始的総合性を、新しい形で再生しているものが映画であり、その著しいものが漫画映画である。〉今村太平『漫画映画論』岩波同時代ライブラリー 92年 150~152p 底本 音羽書房 65年 初出 1941(昭和16)年 第一芸文社
5)戦後の継承
清水勲(1939(昭14)年生)の定義と漫画観
〈日本人なら誰でも知っている「鳥獣人物戯画」[略]は[略]その描写の見事さと諷刺の卓抜さで日本漫画の原点ともいうべき傑作である。〉 i p → 〈民衆のもの〉 → 〈複製美術としての漫画は、「一枚絵漫画」あるいは「カートゥーン」といわれる分野を中心に発展してきた。本書はその歴史から派生した「コマ漫画」「ストーリー漫画」にもふれるが、一枚絵漫画の二大ジャンルといわれてきた政治漫画・風俗漫画の変遷を視点の中心においている。〉〈漫画の精神は本来、「遊び」と「諷刺」の要素から成っている。〉清水勲『漫画の歴史』岩波新書 ‘91 iii P
★定義 風刺・遊びの絵 → 古代への遡行 →歴史記述 →複製・大衆 →近代印刷・分類
★漫画 → 古代(法隆寺など)、中世(絵巻物)、江戸時代(鳥羽絵、浮世絵)、近代(ポンチ)
→ カートゥーン(カリカチュア?)、コマ漫画、ストーリー漫画、政治漫画、風俗漫画‥
★美術史における西洋美術史、日本美術史の並列(日本の近代化と文化史概念の輸入
★清水漫画史における漫画形式の発展図 図15 「漫画の構造」 清水勲監修『日本まんがの300年 漫画まんがマンガ展』図録 読売新聞社 川崎市市民ミュージアム協力 93年 4p
鶴見俊輔
〈米国の新聞連載漫画の真似から始まった日本の漫画という様式〉 66p〈[『正チャンの冒険』は物語と挿絵双方で米国の影響を受けているが]しかし日本は長い年月にわたる漫画の伝統を持っています。物語漫画という領域においてもそうです。[略]筆で漢字を書くとき、象形文字から絵にらくらくと移ることができます。[略]/最も古い漫画は、世界最古の木造建築の一つで、奈良時代に造られた法隆寺の天井裏の裏側から見つかりました。[略]/同じように筆を使った仕事に、「鳥獣戯画」と「信貴山縁起絵巻」の二つの絵巻物があります。これらは二つながら鳥羽僧正(一〇五三~一一四〇)の仕事であるといわれてきました。もしそうであるとしたら、鳥羽僧正は日本で最初の漫画家ということになります。[略]/さらに下って葛飾北斎(一七六〇~一八四九)もまた北斎漫画といわれる何冊かの絵本を残しましたし、まじめな行政官であり小藩の家老職まで上った渡辺崋山(一七九三~一八四一)もまた寺子屋で幼い生徒たちが瓢軽にいたずらにふけっている漫画を江戸時代末期に残しています。[略]/[明治期、ワーグマン、ビゴーが、ホガース、ドーミエのスタイルを日本に伝え]彼らは日本に進行中の同時代の事件を批判的に描くという近代ヨーロッパゆずりの漫画家の流儀を受け継ぐ漫画家の集団を作り出しました。それらの新時代の日本の漫画家の仕事は、明治以前の漫画家たちの筆さばきをなおも伝えていました。〉鶴見俊輔「戦後日本の漫画」80年 『戦後日本の大衆文化史 一九四五~一九八〇年』岩波現代文庫 2001年所収 71~74p
6)漫画と「笑い」の乖離
山口昌男
本質規定〈B 漫画と笑いも、必ずしも固い結びつきとはいえないかと思います。たとえば、漫画から派生したとはいえ、劇画には笑いの要素はあまりないでしょう。しかしながら、劇画といわれる作品を描いている人の多くは、いわゆる漫画家として出発しているのです。/A それは、日本に特殊の事情ですかね。/B この辺は何ともいえないのですがね。[略]だから、コマ割りと言っても「笑い」を軸にしたものと「物語」を軸にしたものでは「漫画」度が異なると考えたほうがいいでしょう。そこで、漫画の定義は笑い度の高さに傾くけれど、形式的には、反対のつまり笑いを含まないものも(劇画のように)考慮に入れることができるということになりますね。[略]/B 漫画は、飛躍を前提としています。飛躍は何かを省略することによって生じます。子供の身ぶりが笑いを誘うのは、大人の動きのように説明的でなく、一つの欲望から他の欲望に気軽に移って、二つの動作の間に飛躍と断絶があるからです。[略]こうした断絶または飛躍を共にしたのは道化です。道化は動作の上でも、論理の上でも、脈絡というものを無視して、断絶と飛躍の上に立って演技を行います。/A ということは、絵に描かれたものばかりでなく、演劇の中においても漫画的なものを見付けることができるというわけですね? /B その通りです。〉山口昌男「省略の空間(1) 漫画的なるものについてのスケッチ」 初出「スピリタス」86年 山口昌男・漫画論集『のらくろはわれらの同時代人』所収 立風書房 90年 79~81p
尾崎秀樹
笑い=本質規定 〈まんがをまんがたらしているのは、笑いだ。笑いを抜きにしてまんがは考えられない。[略]私がいいたいのは、まんが一般ではなく、日本の、しかも児童まんがについてなのだ。[略]/ 私はこの“あそび”という部分に“まんが”ということばをおきかえて考えてみたい。〉尾崎秀樹「笑い言語へのアタック -まんがへの距離感―」No.1 「COM」虫プロ商事 68年6月号 87~88p
〈私はまんがとは、笑いーー人間的なるものを媒体としてしめされた宇宙解釈(存在することの認識)だと思っている。しかしまんがに固有なもの、私自身の仮説にしたがえば“笑い言語”は容易なことには析出することができない。なぜならば、まんがは総合芸術の一ジャンルであり、文学的なるもの、音楽的、演劇的、映画的、そして絵画的なあらゆる分野をふまえて成立しているからだ。[略]私はまんがの中の非まんが的な要素をひとつひとつとり除くことによって、あとに何が残るかということをためそうとした。しかし、実際にはそのような屍体解剖的な手法では何も析出されないことがわかった。たんにあらゆるジャンルの表現の可能性がそこに取りこまれているというだけでなく、取りこまれた可能性のひとつひとつが、有機的に関連し、まんがの“笑い言語”を構成しているからだ。[略]/ただ残念なことはまんが論がまんがの外側から論じられて、なかなか内側から論じられないことである [略]まんが自体の方法論を確立しなくてはならない〉尾崎秀樹「笑い言語へのアタック -笑いの表現―」最終回 「COM」虫プロ商事 69年7月号 142~143p
石子順造
〈日本で、マンガの歴史についてまとめてかかれた最初の本は、大正一三年の七月に発行された細木原青起著の『日本漫画史』であった。/この本の中で、細木原は、「漫画」の定義にずいぶんと困惑している。まず、「一体漫画には定義はないのである」といい、でも「漫画」があるのだからとつづけて、岡本一平の定義を「兎も角拝借する事にする」としていた。岡本一平の定義というのは、こうである。/「漫画とは宇宙間の万物に就きて、その現状並に相互間の交渉する実相を解剖抉剔(けつてき)し、其の結果の美を実現する絵画謂ふ」。[略]/細木原青起の「漫画」観には、笑いという要素は見当たらない。[略]/要するに、「漫画」という語には、受け手を笑わせるという表現の要素は不可欠とされてはいなかったわけである。[略]それがいつのまにかおもしろおかしく、ときには風刺的な絵が「漫画」なのだとされるようになったのは、ヨーロッパの「カリカチュア caricature」の邦訳に、この語を当てるようになってからだと思われる。[略]こうして、昭和期に入ってからのマンガはおもしろおかしいものでなくてはならないという通念ができ上がってゆき、やがてそれが固定化してしまって、戦後、それも三〇年代まで引きづられてきたと思える。〉石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊国屋書店 1980年 13~16p 初出75年