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夏目房之介の「で?」

09後期.10 現代マンガ学講義16 戦後マンガ像の変容(2)

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3)複製メディアとしてのマンガ
石子順造 〈第一は、マンガを複製作品としてとらえることである。 [略]一定量が複製され、流布されることによってマンガである[略]第二は、マンガを作品表現として完結的にみるのでは足りず、いわばメディアとしてとらえる視点である。/第三は、どのようなストーリーによって展開されようと、マンガは、まず絵と言葉によって表現されるのであって、独自の表現と構造をもっているはずだ〉石子『現代マンガの思想』太平出版社 70年 23~24p

副田義也〈高度成長期以降、マス・カルチャーは華々しく肥大化したが、そこに生じた変化のひとつが、マンガ文化の抬頭であった。[略]その成熟の一面は、マンガがジャンル(分野)からメディア(媒体)へ変化したと表現することができると私はかんがえる。〉副田義也『マンガ文化』紀伊国屋書店 83年 20p

呉智英による整理〈さて、マンガの定義だが、故石子順造が考えていたものを参考にしつつ、簡潔に次のように定義したい。
  コマを構成単位とする物語進行のある絵
 定義ではないが、ほとんど常に見られる重要な特徴ということでは、大量生産を前提にしコピーだけがあってオリジナルがない(むろん原稿はある)[略]「複製芸術」であること、絵は程度の差こそあってもデフォルメされていること、幼児から青年層にかけてを主たる読者としていること、娯楽を目的とするものが大半であること、これらの点を指摘することができる。〉呉智英『現代マンガの全体像』情報センター出版局 86年 95~97p

3)脱定義的な「私」のマンガへ 70~80年代「マンガ世代」のマンガ言説
★マンガ(へ)の内在 先行世代の否定
〈「マンガ世代」なる流行語は、[略]第一にマンガと共に育った世代ということ。[略 例に『巨人の星』『あしたのジョー』]青年期に劇画を読むようになったという意味で、戦後マンガ史の主要読者層として、その成長に伴って出版マンガが展開してきた世代、第二に、その表現手段としてマンガを選んだ初めての世代であるということ〉「序説”方法の問題“」『迷宮’75 マニア運動体論』批評集団 迷宮’75 霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞社 08年 191p 〈彼等[既存のマンガ批評者 例・斎藤次郎、石子順造ら]にとってマンガは常に対象であり、外にあるものでしかなかったのだ。〉同上「第四章 方法の問題」 209p

〈おそらく、マンガとは“私性”そのものなのだ。 [略]/マンガは「私」と「私」、つまり描き手と読み手が出会う場であるばかりでなく、重なる場でもある。[略]マンガを読むこととは、マンガを描くことの追体験であることがそこから出てくる。〉(米沢嘉博「マンガの快楽 -風景・線・女体・グロテスク」米沢嘉博編『マンガ批評宣言』亜紀書房 87年 178~179p)

運動=場としてのマンガ  コミケ ニューウェーブ 三流エロ劇画
亀和田武、飯田耕一郎ら小出版社のエロマンガ誌の編集者・マンガ家を中心に提起。
「別冊新評」79年4月の特集号「三流劇画の世界」亀和田、飯田の他、米沢嘉博、村上知彦、小野耕世、高取英、橋本治らが執筆。作家として、清水おさむ、ダーティ松本、能條純一、羽中ルイ、宮西計三、村祖俊一などを紹介。
相田洋〈[三流劇画は]マンガ総体の変革の予兆であり、新たなる表現としての劇画の胎動である〉(「突っ走れ、更に速く!!」同誌20p)
亀和田武〈劇画シーンにおけるこの覇権交替を促したものが、[略]劇画が本来有していた生々しい緊張感の回復=劇画の復権闘争によるものだった〉(「新たなる劇画の地平」同上31p)
★先行世代、既成への抵抗と自己の確立=マンガ、劇画 カウンター・カルチャー性
 

4)言説の世代推移 断絶面
71年「言語生活」(筑摩書房)「特集=マンガと現代」内田勝、石子順造、津金沢聡広、植草甚一
  「美術手帳」(美術出版社)「特集 劇画」 石子順像、梶井純
78年「思想の科学」No.95 斎藤次郎、川本三郎、海野弘、村上知彦、小中陽太郎
  「本の雑誌」 有川優、飯田耕一郎、椎名誠
79年 村上知彦『黄昏通信』 橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』前篇 北宋社 83年 同後編
84年 中島梓『美少年学入門』新書館

★戦後マンガ言説 模式図

5)90年代「マンガ表現論」への接続
夏目房之介〈マンガには表現としての面と商品としての面がある。マンガをまっとうに大衆社会の中の「文化」として語りたければ、その両面をバランスよく見る必要がある。〉夏目房之介「もう一度、マンガの幸せな明日のために!」 夏目、竹熊健太郎編『マンガの読み方』宝島社 95年 218p

四方田犬彦〈今、この書物を開始するにあたって、わたしはあえて二つの禁じ手をみずからに課してみようと思う。ひとつはただちに個々の漫画家の、作家としての主題性や個性といった問題へ素朴に赴くことであり、もうひとつは漫画を社会的な現象としてのみとりあげ、漫画を通して社会を語ることである。[略]だがわたしが念頭においているのは、こうした[漫画作品の物語、事物を抽出して分析する]評論が可能になるにあたってさらに前段階で検討すべきこと、すなわち漫画を漫画たらしめている内的法則の検討である。〉四方田犬彦『漫画原論』ちくま文庫 99年 15p 初出94年 〈本書の第一部においてわたしが赴こうとしているのは、漫画に固有の表象システムの領域である。[略]それを漫画の基本的な文法というならば、個々の作家たちがときに行う文法からの興味深い逸脱はこれを修辞学と呼ぶべきであろう。第一部はこうした共時的探求にあてられている。〉同上17p

瓜生吉則の整理
〈「マンガ読者」の身体性を絡め取るコミュニケーションへのまなざし(鶴見・石子)を批判する中で〈わたし〉の「マンガ読者」への繰り込み(村上・米沢ら)が起こり、それを前提として〈表現論〉(夏目・四方田)が登場してきた、という流れでまとめることは可能である。ただし、この変遷は必ずしも「発展」を意味するわけではない。[略]むしろ「(マンガを描きー読むという)体験や行為」に対するリアリティが様々な形で言葉にされてきた歴史として、「戦後マンガ論」を捉え返す視点が必要だろう。[略] 「(マンガを描きー読むという)体験や行為」が〈わたし〉によって担保される、つまり「マンガ表現」を通じて「ある意味が媒介されること」が前提にされているからこそ、「マンガ表現」の独自性が「意味」の位相でも論証可能となるのだ。〉瓜生吉則「マンガを語ることの〈現在〉」 吉見俊也編『メディア・スタディーズ』せりか書房 2000年所収 135~136p

参照
宮本大人「「漫画」概念の重層化過程 近世から近代における」 「美術史」154冊 03年
〈「漫画」という概念は、近世以降の日本において、次第にその意味を重層化させてきた。近代に入ると、英語「caricature」、あるいは「cartoon」に、対応する意味を担うようになる。本論は、その過程と、やはり近代に制度化される「美術」との間の関連を、明らかにしようとするものである。〉
シュテファン・ケーン「江戸文学からみた現代マンガの源流 ――合巻『鬼児島名誉仇討』を例に」 ジャクリーヌ・ベルント編『マン美研 ――マンガの美/学的な次元への接近』醍醐書房 02年〈総じて日本マンガ史研究においては、戦前に遡るマンガのルーツは未だ十分に探究されていないという印象を受ける。[略 法隆寺落書、絵巻などに源流を求めるが]その際、方法論が明示されることもなく、そもそもマンガの定義自体が行われておらず、あまりに安易だと言わざるを得ない。/マンガの定義については、マンガ表現論が一部扱っている。これは、マンガがまだ独立したメディアとしての市民権を得ていなかった当時、教育学や映画論、文芸学や思想史など、既存の学問の視座からマンガが分析・解釈されていたのに対し、「マンガはマンガ独自の方法論で研究すべき」という動機に裏付けられて次第に盛んになっていったものである。マンガ表現論の主張する、マンガ独自の方法論の意義を認めるにやぶさかではないが、マンガのルーツを探るためには、やはり他の関連分野を参照することが不可欠である。〉24~25p
佐々木果(ササキバラ・ゴウ)制作『まんがはどこから来たか 古代から19世紀までの図録』09年 オフィスヘリア〈まんがを定義することは厳密には不可能である。[略]「まんがとは何か」を説明しようとする行為は、ある特定の社会の歴史の中で「事実をすくい取ろうとする」行為ではあっても、普遍的な定義にはなりえない。[略]まんがは、歴史性や社会性や他のさまざまな問題を含む特殊な「できごと」であるから、時代や場所が変われば、まんがということばの意味も変わる。[略]我々が行えるのは、問いを抱えながら歴史の中で翻弄されることである。[略]歴史は、人によって意識的に見出され、記述されたものだ。現在の人間の問題意識を手がかりにして、過去を浮かび上がらせる行為である。〉 47p

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