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夏目房之介の「で?」

清水勲『四コマ漫画 -北斎から「萌え」まで』岩波新書

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 「萌え」まで・・・・というところに受けて、すぐ買ってしまったのだが、まだ最初の方しか読んでいない。1「四コマ漫画の誕生 -江戸時代」、2「西洋四コマの到来 -明治時代」までである。

 清水さんは、「漫画」という概念を古来の〈戯画的表現〉、「遊び」「風刺」をこととする絵の表現としているので、当然四コマ漫画も、コマ的な枠組で囲まれる戯画的表現のうち、たまたま4コマで構成される江戸時代から始めている。また、「漫画」という言葉が現在に続く媒体表現を呼ぶようになる以前の戯画的表現も同様に「漫画」と定義するため、1章冒頭では〈江戸時代には、文字絵・粗画・狂画・百面相・略筆・戯筆・笑い絵など二百余の戯画表現スタイルおよび、それを表す言葉があったことが、漫画大国であったことを裏づけている〉(同書3p)とし、4コマが定着してゆく理由を〈「起承転結」というそのリズムが日本人の感性に合ったのかもしれない。このリズム感は東アジアの人々にも心地よいようで、四コマ漫画は中国や韓国でも定着していった〉(同書iip)と推測している。中国、韓国での定着は、まずは日本の近代媒体の伝播影響を考えるべきだろうが、典型的な文化背景による根拠づけになっている。

 清水さんを典型例とする、古代以来への漫画概念の拡張は、欧米にも見られるし、日本でも戦前から典型的に語られてきた。これに対して、かつて石子順造は近代メディアとしてマンガを定義したし、宮本大人氏「漫画概念の重層化過程」という論文などでも、まずは近代的な概念として漫画を捉えなおそうとする。この傾向が徐々に浸透し、僕もまたそう考えて、そう書いてきた。

 そうした傾向の中で、清水さんの言説は典型的な一種の「仮想敵」のように引用されてきた側面がある。けれど、ここで僕が強調したいのは、だからといって清水勲さんの漫画史研究への大きな貢献が否定されるわけではまったくない、という点である。もしも、清水さんの膨大なコレクションをもとにした多くの書物がなければ、日本の漫画史言説がいかに貧弱なものになったかを思えば、それは明らかだ。マンガ論やマンガ研究に関心のある者は、清水さんの仕事に多くを負ってきたし、これからもそうだろう。僕は、漫画の定義問題に関しては清水さんに批判的な立場ではあるけれど、その仕事への尊敬、畏敬を失ったことはない。このことは、なかなか表明する機会がないので、ここであえて書き残しておきたい。


 とくに若い研究者などが、先行する論文などでの引用の仕方を読んで、清水さんの仕事を軽んじ、参照しないような気分になったとしたら、それは大きな損失になる。こうしたことは清水さんに限らず多くあるのだけれど、これからマンガ史をやろうとする人にはとりわけ留意すべきことだと思う。

 本書で清水さんは、これまでより緻密に「漫画」という言葉の変化を追っている。江戸時代において鳥羽絵、大津絵、狂画とよばれた「漫画」に当たる表現は、明治期には鳥羽絵、ポンチ、狂画などの語が一般的になる。やがて大泉一瓢が3年の遊学後、米国から帰国して「カリカチュア」の訳語として「漫画」を使ったとし、その最初の例が福沢諭吉の「時事新報」明治23年2月6日号社告にある「漫画」「寓意漫画」だろうとしている。同年7月4日号には、一瓢が米国から持ち帰ったと推測される「百貫目の力持」があり、これが〈日本の日刊新聞に掲載された最初の四コマ漫画」だろうという。やはり欧米の影響が、現在の我々のコマ・マンガを生んだといってもいいのだろう。

 また仏教的な説教画など、多くのコマを使った絵表現は日本にも古くからあったが、明治30年代の北沢楽天らが〈世紀末に欧米で流行しだしたコマ漫画の情報を得て、「時事漫画」でそれを積極的に採り入れ、一コマから一二コマまでの漫画を次々に発表〉し、それまでのポンチ表現を〈改良・発展〉させ、かつ〈キャラクターを使う長期連載〉を定着させるが、「起承転結」意識はなかったろうとしている(同書34~35p)。

 僕の推測では、こののち大正期以降に「四コマ漫画」=「起承転結」的な定型化言説が立ち上がり、いつの間にか日本での漫画の基礎的方法として認識されていったのだろうと思う。新聞4コマの定着と同時期に進んだのかどうかは、検証しないとわからないが。

 清水さんの今回の本では、いつものように具体的に例証を挙げて過程を追ってくれているので、僕のような不勉強な輩には本当にありがたい。同じ事象でも見方が違うだろうが、勉強になるし、色々と仮説を立てることもできる。もともと、マンガの定義は、どんな論を立て、何を検証しようとするかによって最も有効な定義を選ぶべきもので、どれが正解というものはない。ただ、僕などは近代的な現象として歴史的な概念把握をしないと、見えないものが多すぎると考えているだけだ。

 清水勲さんには、これからも多くの刺激的な仕事をしていただきたいし、それに感謝し応援する気持ちを持ってもいるということをいっておきたくて、この長い文章をアップすることにした。講義や講演では同じ主旨のことを述べているのだが、文章化する機会がなかったので、ブログに書かせていただく。

追伸

ササキバラ・ゴウさんが、清水勲さんの仕事について呼応して書いておられる。岡本一平とテプフェールを巡る「小説とマンガ」の関係について非常に興味深い指摘をされているので参照されたい。

http://gos.txt-nifty.com/gos/2009/09/post-9fbf.html

またすがやみつるさんも、清水さんの『四コマ漫画』について言及されている。
http://sugaya.otaden.jp/e56184.html

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