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夏目房之介の「で?」

現代マンガ学講義19 視線誘導論(4)

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2008.10.30 現代マンガ学講義19 視線誘導論(4) 菅野博之の視線誘導論

技術論と分析概念としての視線誘導論

1)菅野博之の視線誘導論 「漫願成就」編

視線誘導論の精緻な技法的展開

菅野氏の定義 視線誘導とは〈ページのコマの絵を追っていく読者の視線の自然な流れを作ること〉(菅野『漫画のスキマ マンガのツボがここにある!美術出版社 04年「08視線誘導のおはなし①」 72p) 

作者―読者の快適な「読み」の想定

「菅野博之先生の漫願成就」 セルシス「コミック・スタジオ」サイトの連載

http://www.celsys.co.jp/community/csd20enjoy/mj04/index.html 参照

※僕のブログへのコメントでJKGFさんに教えてもらったURLで、このほうが整理されていてわかりやすいので、急遽講義で使わせていただきました。菅野さん、JKGFさんに感謝です。

第5回「視線は動くのか、動かすのか ~構成その1~」

コマ構成だけによる視線誘導(マンガの「読み」リテラシー 右→左 上→下)

①読み飛ばしがちなコマ構成の例示 → ②絵を入れて、キャラクターの位置によって視線誘導修正

第6回「集中線とスピード線と視線誘導/前編」

コマそのものの視線誘導に沿った集中線、スピード線を入れた例と、コマの視線誘導ラインと矛盾する例 (どちらがいいという比較ではなく、演出効果が異なる)

①コマ構成の視線誘導ラインと効果線(集中線、スピード線)によって修正されるラインの例示

②上のコマ/効果線に同じ配置でキャラクターを入れた例 速度感、連続性の違い

第7回 「同上/中篇」

コマ内にキャラクターが占める領域の違い(面積比率)と、人物が大きくなるにつれ人物の視線に読者視線が引き寄せられる →人物の重心線と視線方向による誘導ライン

    キャラクターの「視線」による読者視線の誘導ラインは、脳内で起こる視線の「歪み」

 →イズミノ・ウユキによる「視線力学」的なバイアス ※おそらく視線計測によるラインとは異なってくるはず(夏目らのマンガ表現論ではそこまで踏み込まなかった

2)菅野『マンガのスキマ』編

 「08視線誘導のおはなし①」

○角度の意味 〈絵の視線のラインとフキダシの視線のラインが成す角度っていうのが、意味やスピードを強めていく〉同上  図 例1~2 白土三平

○「読み」の内的時間 〈読むスピードじゃないです、読み手が内部で受け取る時間です。〉74p

○作風と視線の構造 〈難しいとこは、物語・コマ構成のクセに合った視線誘導をしなければしっくりこないってとこ[]だから一般化もしにくい〉74p →ある仮想レベルの設定(分析的概念

○作家は感覚でやっている(何となく収まりが悪いとか) →結果的に読者視線が通る

○見開き構成と視線構造は不可分

A)キャラクター(モチーフ)と視線の効果

例図 A~J 〈内容は簡単〉だけど〈説明するのが面倒〉75p

〈右から左に目を送ってみて、自分の視線がどのように二コマ目にいくのか〉同上

A,B=〈キャラの視線に自分[読者]の視線が引っ張られる〉例 同上

=キャラに視線が下に引かれ次のコマへ上向  =視線平行に 

E,F=キャラに向かう視線誘導ライン  =下方→平行(左上空間が気になるが) 

も同様(キャラの腹気になる)  =たくさん視線動いた印象(右上空間が)

G,H,J=自然な視線誘導  対して

=〈視線の動きが急なので、二コマ目のキャラに目を移すのが結構しんどい〉=〈視線のはがれた状態〉〈今までの例と比較すると、キャラよりコマ全体を感じる〉76p

なぜか?

例図 図① 1~4 対角線とコマ枠の交点 76p 

〈『1』以外は自然に追えたんじゃないですか。〉76p 交点の位置が「1」のみ1コマ目にある

図② 「1」以外の交点は2コマ目にかかり、「4」は対角線に干渉しない

○〈何も描いていなければ視線は対角線をたどる〉同上

〈「1」では、視線は自然な動きより下向きの無理な動きに向かわせられてしまう〉同上

「2」は、かろうじて交点が2コマ目枠線上にあるキワの例

    対角線上からズレたモチーフは自然な視線のラインをはずれ、気になる

=〈気になる部分が対角線上にある〉と目にとまる(G,H,Jで空間や腹が気になった理由

B)視線ラインと「時間」の感じ方

例図 図③~⑥ 〈一コマ目と二コマ目の間、二コマ目と三コマ目の間に生じる時間にそれぞれ少しずつズレがある〉 〈視線の角度がスピードや意味の強調度合いっていうのをコントロールしている〉78p

図③→図⑥→図④→図⑤の順に「速く」感じる(?) キャラの配置による

〈眼を横にやると楽なんだけど眼をギザギザにすると少し忙しい気持ちになりますね〉78p

視線を動かす角度、スイッチする度合やモチーフ間の空間差を「時間」に換算する?

    読者は無意識のうちにこれらのルール(文法)を了解し従って読解している

    こういうことを考えてもじつはマンガは描けない(無意識の操作の問題)

    感覚的な作業で効果を生んでいたものが〈思った以上に検証可能だった〉79p

    視線ラインの角度による読者「時間」の差

自然な流れと、不自然ないし無理なラインの効果 「気になる」効果や「間」

「09視線誘導のおはなし②」

C) 角度と速度

作例①~④

    と②の速度感の違い 〈作例②の方が視線の角度が急なんで、早く感じますね〉80p

〈角度の緩さはスピード感の違いでしかなくて、実際のスピードの違いではない〉同上

→④緩やかな視線誘導によるスローモーションのような効果

    実際のスピード〉=作品内の物理的な速度のことか(「読み」の時間ではなさそう?

〈キャラの感じる時間と思ってみるとしっくりくるんじゃないかな〉81p

作例②は短く、④は長く感じている? 

〈作例①だとだいぶ転がってる感じがするのに、作例②だと転がり感が少ない〉82p

→※読者の感じる「読み」感覚の速度感?(分析的思考

〈実はイラスト的な手法で絵を構築する人は、空間を上手に使って視線を流していく使い方をするんですよ。非常にベタなマンガ的手法だと、人物のモチーフを追わせるようにするんですけど〉83p

〈視線誘導の手法として、空間の方が優先、全体のコマの大きさの中での空間の占有率が視線を誘導する、っていう考え方〉→イラスト的なアプローチ ※空間=余白、白?構成?

    マンガの描き方の種類について 絵を画面構成的、構図的に考える 空間配置

 →キャラ配置で考える 画面に対して線画が主体(地と図の図優先

〈実際これをどうやって練習するかっていったら描くしかないんですけど(笑)〉83p

手わざ的体験の集積で無意識に近い形で成り立つ手法 →言語化(分析的

もう一度、創作に生かす形で還元できるかどうか(自分の作品を推敲的に分析する理論

D) 角度とズレの「間」

作例⑤-1,2 作例⑥ 作例⑦

〈視線と視線の作る角度で生まれる『感じる時間のスピード感』の話〉→〈今度は描いてあるものが視線からズレることで生まれる時間〉83p

作例⑤-1 2コマ目の人物→3コマ目の撃った銃→4コマ目の撃たれた人=〈主なモチーフが並んでいる一直線上に視線〉同上 =〈オンタイム

作例⑥ 〈撃った後に『何か』あるという演出効果〉84p 

〈基本的には『オンタイム』と『間』を上手く混ぜて演出する〉→通常⑤のようにオンタイムで演出し、ここぞというときに間(ズレ)で演出→ 〈読み手としては何が違うのか分かんないけど、明確にコマのリズムであったり呼吸であったり、見え方が変わる〉 「コマ構成」ができてない、メリハリをつける=コマの増減だけの問題じゃない

視線誘導のラインによって、コマ及びコマ内のモチーフの配置、演出を判断する

→ 「11フキダシを使った視線誘導①~②」 「視線の跳ね返り」へ

3)まとめと課題

    視線誘導のライン設定によって、絵・文字・コマの相互的に生成する「読み」の効果を統一的に理解しようとする →「不純な領域」(宮本)としての固有性

    基本的に、自らの表現体験の蓄積から反省的に言葉を編み出す →表現論的

    したがって、出自である作品傾向に還元される →一定傾向の作品群に有効な演出法

    イラスト的な空間構築的マンガに近い、奥行き・空間配置の明瞭なマンガについての技法理論 →分析対象が狭いという意味で、分析概念としては精緻すぎる

    「速度」「時間」の概念を、どちらかというとキャラの主観に置くか→ 「読者」の「読み」と作品内の基準に置くか このあたりが「技術」と「分析」のきわどい境界線か?

4)視線誘導論の領域と歴史性

「視線誘導」概念は、あるレベルの描画・コマ構成の成立に伴うもの=歴史的存在

つねに逸脱の「面白さ」と隣接する(教程としての基準線でありうるが

視線誘導論に忠実に作品化すると「端正な」演出になり「うまい」という印象は生むが、それがそのまま「マンガの面白さ」を保証しないこと

例 ほしよりこ『今日の猫村さん』 青木雄二『ナニワ金融道』

 月刊誌時代の別冊付録マンガより 山根青鬼『よたろうくん』 杉浦茂『ロボットくん』など

 視線誘導がないわけではないが、定式化するほどの有意性はない(概念化の必然性がない

 視線ラインは、ほぼZ型のジグザクライン(ページ6コマ等分が基本 左右ページ差もない

→視線誘導を論じうる作家・作品も戦前から存在した 大城のぼる 手塚治虫

 奥行き、コマ構成の工夫による

視線誘導概念の前提はマンガ表現論 →60年代末における「コマ」の発見(真崎守

「マンガはコマである」=表現論的作品(真崎守、佐々木マキら)と作者・読者共同体の成立

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