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夏目房之介の「で?」

「BSマンガ夜話」成立~戦後マンガ言説略史レジュメ

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2008.7.10  現代マンガ学講義(11) 表現としてのマンガ
「BSマンガ夜話」成立までの戦後マンガ言説略史

戦前から教育的見地からのマンガ批判、マンガ家からの言説などはあった
現在のマンガ論・表現論にいたる歴史は戦後60年代に始まる 契機は白土三平『忍者武芸帳』59~62年↓

1960年代 ガロ、COM 第一次マンガ世代('50年前後生)青年読者化
COM系 鶴見俊輔、尾崎秀樹、佐藤忠男、草森紳一、峠あかね(真崎守)
ガロ系 石子順造、「漫画主義」同人 他 副田義也

「ガロ」(64年創刊) 白土三平→つげ義春→佐々木マキ・林静一ら、知識人・大学生などのマンガ言説を刺激する作家・作品が次々登場(67年以降
OHC1 「ガロ」68年4月号 つげ 読者ロータリー 池上遼一 佐々木マキ 石子順造「滝田ゆう論」 林静一

石子順造「滝田ゆう論ノート モラリストの大衆像」
〈大衆のアバズレ女的性格に処女性を感受できるはずの滝田は、先述したような描出力からいって、大衆の深い欲望や悲願につきすぎもしたので、昨年の後半は総じて図式的な渋滞にふみこんでいたらしい。[略]大衆の自己矛盾したヴァイタリティーと対応しえない時、ストーリーは平板に、ぼくらの読後感はただ出口のなさに追いこまれるばかりなのである。[略]ぼくはこれもまた滝田が鋭敏な、音への反射神経を手がかりにして、この狂騒に満ちたぼくらの文明観を、一度すっかり破産させてはくれまいか、とひそかに期待している。〉「ガロ」68年4月号 161p

「COM」(67年1月号創刊) 「まんがエリートのためのまんが専門誌」
 永島慎二、石森『ファンタジーワールド ジュン』の掲載、宮谷一彦、岡田史子の登場 尾崎、草森らの連載評論、真崎守(峠あかね)らによるマンガ表現文法への言及 梶原一騎『原作作法』
OHC2
「COM」67年5月号 『火の鳥』 『ジュン』 『フーテン』 「まんが月評」(少女マンガ座談会) 草森 宮谷デビュー ぐらこん
コピー 芸術論争からマンガ表現へ 文法論(草森「ストーリーまんがの文法論」 コマ論(真崎守 尾崎「笑い言語へのアタック」連載

峠あかね(真崎守)「コマ画のオリジナルな世界」
〈まんがが、芸術たりうるかどうかを考えることは、まんがのなかにオリジナルな要素があるかどうかを知ることにほかならない。あるとすれば、表現の分解によってひきだせるはずだ。[略]手塚作品の登場は、映画・テレビの親戚を持ちながら、コマにある種の因果をふくませて独立を試みたBⅡ型まんが[引用者註=コマを持つマンガのうち「積極的意志によるコマ割り」のマンガ]である。コマを持つことによって、オリジナリティーの可能性を生んだまんがは、このとき、コマを操作することによって、はじめて、オリジナリティーを具体的に、表現する方法論を発見したといえる。[略]B型[コマを持つマンガ]の本質は、ストーリー・まんが・劇・画という話と絵にあるのではなく、コマそのものにあったのだ。[略]近い将来、コマのモンタージュは、青年まんが誌的な、表現の自由がかなり許されている舞台の上で、中間小説的な内容を持ちながら、はなばなしく爆発していく・・・・と、私は予測している。〉「COM」68年3月号

OHC3
「ヤングコミック」(少年画報社)隔週刊 70年1/27号 宮谷 上村 真崎

1970年代 マンガ産業化 青年マンガ、少女マンガの充実   清水勲 小野耕世

石子順造『現代マンガの思想』太平出版 70年 マンガ表現構造論
〈今世紀初頭以来、文学以外のすべての芸術は、いわば反文学主義ともいえる発想や方法を見いだそうと努力してきた。それは、ことばによって秩序づけられる事象の因果およびそれに基づく価値観から表現を自立させようとする試みであったともいえる。このような動向は、やがてすべての分野にわたって言語論やイメージ論、さらには知覚の構造や時間意識など、表現行為そのものへのもっとも原理的な問い直しを必然化する。それはほかならずヨーロッパ的な合理的近代と、それとペアである非合理的な反近代とを、ともに超えようとする志向でもあった。
  このような志向は、なにも芸術上の、それも前衛などと呼ばれている芸術だけのものではないだろう。芸術と非芸術と分けてしまうその発想なり手続きの論理が、すでにすぐれて「近代」の所産にほかならないからである。〉「iii マンガ表現の論理と構造」冒頭 同書50p
〈マンガをマンガとして評価しえないでいるもっとも顕著な事例は、カーツーンについてその絵画性とモチーフを論じ、連続コママンガについてはもっぱらテーマを軸としてプロットを追い、背景になっている時代情況などを意味づけながら登場人物の性格を分析し、そして作家の思想性を論じるといった推断の手続きであろう。前者は絵画主義であり、後者は文学主義といってもよく、それもともに補完しあう近代主義にほかならない。[略]そのような手続きの前提というより、手続きそのものが、表現として重層的な構造をもった絵ないし文字としてあるということ、そのことを抜きにはできないはずだ、といいたいのである。[略]その本体を抜きにすると、連続マンガも小説と変わりなくなろうし、その裏返しが、絵であることを自立視することになろう。問題は描くという行為そのもの、あるいは見るという受容それ自体の体験と、表現ないし思想との構造的な関係であり、そこでメディアの特性も問われるべきではなかろうか、ということである。体験や行為と関係のない表現・思想などあるはずもない。〉同51p

石子による章立て=カテゴリー分け 「視座とモチーフ」「描線とキャラクター」「コマと劇展開」「ことばとイメージ」「ディアとメッセージ」「表現と思想」

「コマと劇展開」
〈このマンガのコマの文法は、その繋辞の論理からいっても、劇の構造化が、映画よりいっそう受け手の側の知覚・認識との照応に基づくものであることを示してはいないだろうか。[略]劇としてマンガは、作家の主張が適切に伝達されにくい、ということでもある。作家は自分のいい分をぬかりなくコミュニケイトしようと思えば思うほどことばにたより、したがってイメージの活性を失うかたちになって、「である」「でない」とか、「そして」「しかし」などを与えようとする。コマとコマとの非連続性を、受け手の自主性ないし任意性にゆだねることが不安になり、解説的になることによって、いわば一種の強制力を獲得しようとする。〉同71p
「ことばとイメージ」
〈このようなことばとイメージの微妙な運動は、つげによってはじめてマンガに持ち込まれたものであった。[略]これらの作家[つげ義春、林静一、佐々木マキ]の間では、ことばとイメージとの実体的な照応関係が疑われている。もしくは失われている。〉同79p 
 
 70年代後半期~ 橋本治、荒俣宏、村上知彦、米沢嘉博、亀和田武、中島梓(第一次マンガ世代=60年代のマンガ状況と言説の影響を受けた世代の発言権拡大) 「マンガをマンガとして語ること」 「エロ劇画ムーブメント」と「エロ劇画全共闘」 運動としての「(ぼくらの)マンガ」

亀和田武「新たなる劇画の地平」 別冊新評特集「三流劇画の世界」79年春
〈これら[評論家とエロ劇画誌編集者]の劇画理解のレベルは同じである。それはちょうど、妙にモノワカリのよい社会学者や評論家が、劇画はあの荒々しさ、俗悪さ、稚拙さこそがたまらない魅力です、と猫撫で声で語るのと、低俗でキタナラシイから劇画は嫌いだという発言とが表裏一体の関係であるのと似ている。〉34p
〈われわれは切り開いた新たなる劇画の地平とは、劇画を単に技術の問題にも、意識の問題にも還元することなく、両者のせめぎ合いとして、融合されたものとして理解する立場である。そして、そのことを支えるのが、[略]劇画家、編集者、読者の三者による強力な目的意識的な志向性に他ならないという、単純な、しかし力強い事実である。〉35p

1980年代 「ガロ」「宝島」「ビックリハウス」など、いわゆる「サブカル」系雑誌における読者言説の浮上 コミケの拡大 「おたく」の登場

※ コピー 83年 週刊朝日「夏目房之介の學問」「マンガ解剖学 骨格史論」上下 模写によるマンガ批評 
OHC4 夏目房之介『夏目房之介の漫画学』大和書房 85年
  呉智英『現代マンガの全体像』情報センター 86年
  大塚英志『商品/テキスト/現象 [まんが]の構造』弓立社 87年
  手塚治虫逝去 89年 昭和天皇、美空ひばり、田河水泡死去
   (東西冷戦終結、東ドイツ崩壊、天安門事件

四方田犬彦「マンガ批評宣言にむけて」 米沢嘉博編『マンガ批評宣言』亜紀書房 87年
〈マンガにはマンガ固有の内的論理が存在している。しかし、それは残念なことに、これまで分析もされてこなかったし、マンガに固有の言葉で批評もされてこなかった。〉vp
米沢嘉博「マンガの快楽」 同上
〈何時までも、僕らは何故にマンガを手離さないのだろう。[略]とにもかくにも、僕はマンガが好きなのだ。/そうして、マンガについて語るとするなら、そこから始めなければなるまい。作品分析でも、史でもなく、ましてや状況論や文化時評であってもならない。いま、p僕が必要としているのは、僕自身のための"マンガ原論"なのだから・・・・。〉177p
〈おそらく、マンガとは"私性"そのものなのだ。マンガを描くことが「私性」の表明であるのと同時に、マンガを読むこともまた「私性」の表明であるのだ。〉178~179p

瓜生吉則「マンガを語ることの〈現在〉」 吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』せりか書房 00年
〈マンガについての語り(以下は「マンガ論」と総称)の拡がりを風景に喩えたとき、一九八〇年代以降、そこにはある不思議な特徴を見つけることができる。一口に言ってしまえば、それは「表現への定位」である。一九八七年、「マンガを内側から批評の言語として語り出そうとする試み」として『マンガ批評宣言』なる一冊の書物が刊行された。「マンガ家」夏目房之介は、模写によって感得された「マンガはいかにしてマンガなのか」への回答を〈マンガ表現論〉として標榜するに至った。先の『マンガ批評宣言』の巻頭言を書いた四方田犬彦は、その宣言を『漫画原論』なる題名を持つ単著へと昇華させ、マンガ表現の自律的な構造を論じた。そしてこの流れのひとつの頂点として、一九九五年には『マンガの読み方』という「マンガ表現の百科全書」が刊行される。「わたしにとって興味深いのは、漫画が俎上にのせている多様な物語とイデオロギーのあり方である以上に、それらが他ならぬ漫画として表象され、漫画として存在しているという事実である」(四方田1994,10)といった関心の方向性は現在、四方田個人に限定されることなく、マンガについて何事かを語る者たちの共通前提にすらなっているとも言えるかもしれない。〉同書 128p
→村上、米沢らの「わたし」語り
〈あくまで〈わたし〉の思いを表明することが優先され、そこから「マンガ表現」の独自性を浮び上がらせようとする彼ら[村上、米沢]の語りは、確かに恣意的ではある。しかし過剰なまでに「恣意的」な彼らの語りこそが、「客観的」な〈表現論〉の前提を用意していたという逆説を見逃すべきではないだろう。〉同135p

1990年代 「マンガ表現論」の登場 キャラ多層性の進展(マルチ・メディア化
  インターネット環境の進化 マンガ市場の飽和と崩壊 世界的『ポケモン』ブームとマンガ・アニメの世界化現象
  竹内オサム『手塚治虫論』平凡社 92年
  東京サザエさん学会編『磯野家の謎』飛鳥新社 同年
  夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』筑摩書房 同年
  木股知史『イメージの図像学』白地社 同年
  四方田犬彦『漫画原論』筑摩書房 94年
  中野晴行『手塚治虫のタカラヅカ』筑摩書房 同年
  大塚英志『戦後まんがの記号表現』法蔵館 同年
 95年 マンガ、出版の市場規模最大に 以後急落
  夏目房之介、竹熊健太郎他『マンガの読み方』宝島社 95年
  夏目房之介『手塚治虫の冒険』筑摩書房 同年
  いしかわじゅん『漫画の時間』晶文社 同年
  岡田斗司夫『オタク学入門』 96年

1996年夏 「BSマンガ夜話」第一弾放映
  同 NHK教育「人間講座」夏目房之介「マンガはなぜ面白いのか」放映
 「ユリイカ」96年8月号特集「ジャパニメーション!」
  宮本大人、秋田孝宏、細萱敦ら「マンガ史研究会」発足 97年
  夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』NHK出版 同年
 「ユリイカ」97年4月号特集「J-コミック'97」

2000年代 日本マンガ学会設立(01年 ネット共同体とブログ言説の時代へ
  中野晴行『マンガ産業論』筑摩書房 04年
  伊藤剛『テヅカ イズ デッド』NTT出版 05年
  「ユリイカ」06年1月号特集「マンガ批評の最前線」
  小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』NTT出版 07年
  イズミノウユキ『漫画をめくる冒険(上)』ピアノ・ファイア・パブリッシング 08年 http://www1.kcn.ne.jp

夏目房之介『マンガ学への挑戦』NTT出版 04年
〈マンガ批評研究の世界では、表現論的なとらえかたはかなり浸透してきたのだが、一般的にはまだマンガを「表現」として読み解くということ自体「目からうろこ」だったり、驚きだったりする。それが「BSマンガ夜話」の人気の要素でもある。〉6p
〈このこと[「夜話」視聴層の存在のしかた]自体、現在の日本社会におけるマンガというもののありようや文脈を示している。こんな番組が成り立つのは、それだけの大人の、それもマンガ・リテラシーの高い層が、一テレビ番組を長年存続させるほどにまとまってこの社会に存在することを意味するだろうからだ。〉19p
〈どこかで「たかがマンガ」「たかがテレビ」「たかが娯楽」「たかがフィクション」と、送り手・受け手がその架空さや不真面目さ、不正確さなどを了解しあいながら、そのことで「本音」の発現、投影としての自己を確保している。/それは、いわば大衆娯楽表現としてのありようそのものだといえるかもしれない。〉22p
〈マンガを支持する層の、年代や性差をこえた厚さと相互連携こそが、日本のマンガのメディア的な特性をなしている。それこそが多様で豊かな表現を生み、他媒体への大きな影響力となる基礎であり、世界的にみてもっとも特徴的な社会的条件だと思われる。〉27p

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