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夏目房之介の「で?」

特別展「蒼海 副島種臣 全心の書」

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五島美術館に行って、見てきました。元の奥さんと、ひさしぶりのデートでした(笑)。

凄い、の一言。
副島の書は、本で何度も見てるし、実物も以前の展覧会で見てる。
でも、しばらく彼の書の前を歩いていると、たいした点数でもないのに、言葉が出なくなり、集中してみるだけで力を使い果たすような気になり、二度もソファに座り込んでしまった。
いやはや、凄いわ。梧竹など、制御された「芸(術)」では、あまりこういうことはない。一種、命がけの何かと対峙させられるようなところがあるだと思う。とんでもない書である。

副島種臣は、明治10~20年代(副島50~60代)までにアブストラクトといえそうな書を書いている。「野富烟霞色天縦花柳春」や「帰雲飛雨」を見てもらうと何となくわかると思う。西暦でいうと1877~1897年。ヨーロッパのファインアートで抽象絵画が、カンディンスキーあたりで始まるとすれば1910年代。いったい、この造形感覚を、しかも文字を書くという行為で、どうして明治時代に始めてしまったのか。
むろん書には、そういう流れもある。古代の象形文字的な造形を芸術化する書には、当然のように高度な抽象的(に見える)造形感覚が生まれるからだ。が、副島のそれは、そうはいってもあまりにも現代的に見えるのだ。
それがなぜなのか、やっぱり僕には不思議に思える。もちろん、そんな疑問自体が「現在から過去を裁く」愚かしいものかもしれないのだけど、そういう風にいわせてしまう衝撃力をとりあえずもっているといいたいのだ。興味のある方はぜひ見てもらいたい。
僕自身の分析は「書の宇宙」最終巻の連載「筆線の狩人」で書いてます。

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