関川さんとアンナさん
昨夜は、チェコで修士論文のテーマにマンガを選んだアンナさん(同じようにマンガの好きな仲間は、やはりリスキーらしくあきらめたとか)を連れて関川夏央さんが僕の部屋に。なるたけ人を紹介しようと、斎藤宣彦氏とかわはら和子さんもやってきて、その後、エッグで食事。本当はいちばん紹介したかったジャクリーヌ・ベルントさんが体調を崩され、こられなかったのが残念だった。
大変楽しい会だったのだが、その楽しさの大半は関川さんの話にあり、ついついドメスティックでローカルな話題で盛り上がってしまい、アンナさんにはちと申し訳なかったかもしれない。関川さんは上機嫌で、
初対面のかわはらさんは「もっと気難しい方だと想像していたので、あんな楽しい方だとは驚き」だったそうである(笑)。わりと僕はそういう気さくで楽しい関川さんしか知らないのだが、相手によっては「気難しい」んだろうね。まぁ僕もそうだしね。もう、あっちもこっちも気さくにして疲れるより、わがままで通したいお年頃なんだと思う。
雑談の中で、アンナさんが「志賀直哉の小説をマンガにしたものはないでしょうか?」といいだし、思い当たらなかった。村上もとかの文学者マンガにあったかなぁ・・・・。アンナさんは志賀直哉の『暗夜航路』にすごく親しみを感じたんだという。今回の来日でもぜひ城之崎に行きたかったが、行けなかったといっていた。その流れで『小僧の神様』の話になった。僕も、この小品が大好きなのだ。と、関川さんがいう。
「あれはね、第一大戦後のインフレが背景にあるんだよ」
つまり、小僧さんが握りしめてきた額を越えていて、手につけたものの食べられなかった屈辱的な6銭の寿司には、インフレによって価値を減じてしまった奉公人のお金と、インフレで上がってしまった握り寿司の関係があり、かつそれを平気で食べられた株でもうけた階級の人々の関係があった・・・・というようなことらしい。主人公は貴族院議員だしね。う~む、面白い。
あと、日本人の知っているチェコの人というと、ロボットという言葉を作ったカレル・チャペックと「プラハの春」の立役者ドプチェクくらいだね、という話から、じつはシベリア出兵の目的はロシア革命でシベリアから帰れなくなったチェコ兵士の救出であったとか、関川さんの面白ウンチクが楽しかった。チェコ兵士は日本から船で帰ったのだという。
僕もモーニングの取材で栗原さんやかわぐちさん、弘兼さんに会った話をし、マンガのことも話題になった。面白かったのは、関川さんは宮谷一彦がダメだった、という話題。僕より1歳上なのだが、その差が宮谷の青臭さへの許容度を決めたのかもしれない。もちろん僕がマンガを描いてた、という事情も大きいだろうけどね。
また、アンナさんが渡瀬悠の話を出し、それで僕が思い出した。アングレームで渡瀬さんと担当編集者の女性にお会いしたのだが、そのときの担当さんの作家への繊細な対応に感心したのだ。体調の管理から食事の好み、実に様々な情報を全人格的に把握している。
で、そのときまだマンガ家志望の20歳の女の子だったフランス女性エレーヌと渡瀬さんが会ったとき、エレーヌが「ラブシーンとかが恥ずかしい」みたいな話をしたら(フランス人とは思えん・笑)、担当さんはこんな話をした。
「渡瀬さんも、キスシーンが恥ずかしいといってましたけど、そういうことほど、そこに何かあるんだから描いてみなさいってすすめました。描いてみたら人気が上がりましたよ」
なるほど、この人は優れた編集者だなと思って、記憶していたのである。
この話に関川さんが「それが、昔の文芸編集者のやったことなんだよね」といった。その伝統は70年代を最後に途絶えたのだという。その話に、僕は即座に先日の西村繁男さんの話を思い出した。西村さんは、マンガ編集者には文芸編集の伝統が伝承されているのではないか、という僕の言葉に対し、こういったのだ。
「マンガ編集にだけ、伝承されたんです」
う~む、面白いなぁ。
さて今日の夜は小林宣彦さんが『うらなり』で菊池寛賞を受賞され、そのパーティが六本木であったので、打ち合わせののち伺った。そこで亀和田武氏を見つけ、話しかけた。じつは大昔あるパーティで同席しているのだが、挨拶していないのだ。そこでもニューウェーブや相倉久人ジャズ表現構造論の話で盛り上がってしまった。