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夏目房之介の「で?」

森下文化センターのマンガ編集者シリーズ最終回

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 昨日は今年最後のマンガ史研で川崎市市民ミュージアム「横山光輝展」にゆき、今日は森下文化センターでマンガ編集者シリーズ最終回・南伸坊さん(元ガロ編集長)のレクチャーがあった。
 南さんは72~78年青林堂に入社、ガロの編集長をしていた・・・・はずである。ただ南さんによると「パーティなんかで、これがガロの編集長って長井さんが紹介してくれてたんで編集長なんだと思ってたんですけど『「ガロ」編集長』(筑摩書房)っていう語りおろしの本で編集長のあとに?がついてて、ほんとにそうだったのかわからないんです」とのことだった。どうやら、発行人はずっと長井さんだったらしい。
 正確に引用すると

〈ついで一九七四年になると、すでに『ガロ』の編集長? に就任していた南伸宏(伸坊)さんや・・・・〉(216p)と、読みようによって「その頃すでになっていかたどうか?」の「?」とも読める記述だった。が、貸本の世界では編集長も何もないし、それ以前のガロがそうであったようにメインの作家が編集長的な存在になるのが末期貸本マンガではふつうだったりしたので、長井さんも、じつのところ誰が編集長とか、あまりちゃんと考えていなかったんじゃなかろうか。
 南さんは、ただ自分が面白いことをやっていさえいられれば、当時としては安い月給(おぼえていないらしいが、7万とかそのへん?)でも、全然楽しかったそうだ。それ以前のガロと変わったとかも考えていなかったという。
 じっさいには、南さんと次の二年間ガロを担当した渡辺和博さんの二人によってガロは60~70年代的な劇画誌を脱皮し、へたうまと面白主義の80年代的なミニコミ誌、宝島やビックリハウスなどと並ぶ「サブカル」系オピニオンリーダー的スタンスのオルタナティブ誌になっていった。南さんは「原稿料も出ない雑誌だし、ガロに載りたいっていう作家さんの感じるステイタスなんかはわからなくなってた。だから畑中純さんなんか、すでに「話の特集」に載るのが決まってると聞いたので、そっちのがほうがいいからって載せなかったら、あとで他で載せてくれなかったって書かれて」とかいっていた。
 多分、南さんは凄く面白い時代的なオモチャを手に入れたみたいな感じで、ガロがどんな位置で、どう変わっていったかという外からの視点なんか、どうでもよかったのかもしれない。それに、基本的に南さんも「ものかき」的な人だし。
 本人には、その意識がなかったようだが、どうやらアトになって色々いわれたようで「昔のガロはよかった」ともいわれたそうだ(まぁ、そういうこという奴はいつでも何にだっている)。また、南さんには直接いわなかったけれど、他の人には南さんの台割について長井さんが不満をもらしたりもしていたらしい。要するにいい加減なのかもしれないが、とにかく自由にやらせてくれたことを南さんはすごく感謝していて、長井さんを尊敬していた。
 長井さんは、つまり、そういう自由でいい加減な場を作れる・支えられる人だったのかもしれない。僕も昔、ある小さな集まりで長井さんを見たけど、気にしなければ、いるんだかいないんだかわからない人だった。
 ただ、ずっと赤字で原稿料も出なかった(単行本の印税は出た)雑誌なのに、倒産もせず続いたのがナゼなのか、南さんに質問したけど、案の定、わからなかった。多分、南さんもそういうことに興味ないんだよね。
 最後のほうで「今日、ひとつだけいえるとすれば、長井さんはものを作る人を無条件に尊敬してた。だから作家も長井さんが好きになったんじゃないかな。それが優れた編集者で、そういう人はアイツは俺が育てたとかいわないんです」と南さんがいい、それはこのシリーズ全体の締めにもなったような気がする。
 南さんはこられなかったけれど、最後ということで、恒例になった飲み会をいつものメンバーでおこない、さらにマンガ編集者シリーズを続けるとすれば誰がいいか、とかの話で盛り上がり散会。軽い忘年会だった。
 さて、今週は火曜から京都出発まで小学館の忘年会をはじめ毎日予定あり。体調崩さないように気をつけよう。今日の飲み会にも、風邪ひいてた人とか、ノルウィルスからの生還者がいたみたいだし。

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