手塚記念館トークのレジュメ
手塚記念館でのトークのレジュメを作りました。
・・・・が、これ一回1時間なんだよねー。入らないかもなー。
11.3 手塚治虫誕生日記念「手塚マンガはやっぱり面白い」
1) 手塚誕生
1928(昭和3)年11月3日 手塚治虫 大阪府豊中市生
5歳で現在の宝塚に移る(中産階級の新興住宅地
手塚自身は生前ずっと大正15(‘26)年生と自称
ホワイトカラーの父が漫画、映画、カメラ好き
→昭和初期の映画、漫画映画、漫画=モダニズムを浴びて育ち
→豊かな戦前の大衆文化遺産をタイムカプセルとして戦後に花開かせる
‘45(昭和20)年、大阪大空襲を経験 8月敗戦時に16歳
‘46年1月『マァちゃんの日記帳』連載開始 17歳
‘47年1月『新宝島』(酒井七馬原作)刊行 18歳 自称20歳
2) 背伸びする手塚マンガ
‘49年4月刊『拳銃天使』東光堂 子供マンガ初のキシスーン? 図1
名著刊行会復刻版45p 思春期・青年期の意識 子供マンガとの二重性
→「不良の兄貴だった」(大林宣彦)
思春期・青年期の主題を刺激する子供マンガの登場→劇画経由、青年マンガへ
→海外の十代中心に浸透する日本アニメ・マンガの主題の成立(性と暴力
敗戦時の手塚の「背伸び」が戦後マンガの変容する主題へと繋がった?
3) 現在に繋がる手塚マンガ
浦沢直樹『PLUTO』(ビッグコミクオリジナル 03年~連載中)
手塚『鉄腕アトム』「地上最大のロボット」(少年 64~65年)原作
手塚の影響→大友克洋(デビュー当時)→浦沢オリジナル→手塚原作へ
顔だけで心理を演出する浦沢手法 図2 『PLUTO』1巻 26~27p
ロボットの無表情→微妙な「心理」(?)の推測→独特の「切なさ」
大友的描線と演出、コマ(抑制的なスクェアな画面の連続
顔のアップと風景の関係 図3 同上24~25p
図4 大友克洋・矢作俊彦『気分はもう戦争』( ‘82年刊 110~111p)
クールで映画的なショットの構成→スクェアな画面=映画の固定的フレーム
手塚『火の鳥』「未来編」(COM版 67~68年) 図5 角川文庫版 168p
同じ顔の連続→ロボットの無表情→表情のない「心理」への感情移入
顔のアップ連続は一般に否定的に語られる(風景や動き全体による説明の重視
が、手塚は60年代から顔のアップ連続を多用し、青年マンガ(かわぐちかいじ、佐藤秀峰)浦沢に伝承する →複雑な心理・主題をわかりやすく読ませる手法
図5 手塚『ルードウィヒ・B』(87~89年 絶筆) 潮出版版 168~169p
かなり前衛的なコマ構成と顔のアップ 心理への引き込み 読者視線の揺れ
168p 縦視線の落下→アップへの移入 169p 左→下へ揺れ落ちる視線
巧妙なコマと絵(人物)の配置 読みやすさと「深さ」の一致
→絵とコマの密接な関係=マンガ表現のかなめ
11.4 手塚文化賞10周年記念「マンガとは何か」
1) 浦沢直樹と手塚治虫
大友チュルドレン・浦沢の手塚の影響 図1 『PLUTO』3巻付録「まんがノート 1年D組 浦沢直樹」『羅生門』より 浦沢・高1(‘75~’76年)
70年前後の手塚そっくり 絵だけでなく、演出、やや前衛的コマ構成も
図2 手塚『火の鳥』「未来編」(COM版 67~68年)角川文庫版 165p
浦沢=手塚→大友影響をへてデビュー(マンガ家になれるとは思っておらず、マンガ編集者になるつもりで出版社を受け、卒業記念に持ち込みでデビュー
手塚‘28年生→デビュー’46年(17歳)→COM『火の鳥』(40歳~)
浦沢‘60年生→TVアニメ「史上最大のロボット」放映時5歳→
COM『火の鳥』連載時7~13歳(思春期へ)→デビュー23歳
→『PLUTO』連載開始43歳 手塚―浦沢=32歳差
2) マンガ青年化とコマの実験
「前衛的」コマ構成 60年代後半期のマンガ青年化と革新運動
石森(現・石ノ森)章太郎 永島慎二 真崎守など
図3 石森『ファンタジーワールド ジュン』COM67年3月号 62~63p
図4 永島『シリーズ黄色い涙 青春残酷物語 青春裁判』同上 46~47p
コマという空間構成の様式の発見 顔アップの畳み込み効果
同号『火の鳥』は「黎明編」第三回 のちのコマ構成は少しあと
図5 「未来編」角川文庫版 79、81p
デザイン的なコマ配置と2.5次元的な奥行きの空間
テーブルを囲む人物たちの仰角視線(じつはありえない)
マンガ的な絵とマンガ的演出の詐術の関係
3)大友・浦沢と手塚的実験コマ
大友・浦沢にない手塚コマ=実験的な構成コマ
映画的な画面確定が必要な空間処理・演出
じつは、マンガのフレームは映画のように固定しておらず、紙面のフチとコマの間で常に揺れ動いている。それをスクェアに固定しないと映画的な効果が生めない →参照 伊藤剛『テヅカ イズ デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版 2005年)
手塚の実験的なコマは、青年マンガが映画的なコマ固定化したあとも持続
→手塚の絵(人物)のもつ記号的な不定さがコマの不確定性と関係
図6 手塚『ルードウィヒ・B』潮出版版 84~85p 絵のもつ抽象性
→人物の「マンガ的」記号性→コマはフレームではなく立体に?
4)少女マンガと少年・青年マンガ
少女マンガのコマの不確定性 図7 森生(もりお)まさみ『らぶ・ちょっぷ!』(月刊「LaLa」06年12月号より無作為抽出) 312~313p
コマの重層、包含、消失 人物のはみ出し 言葉の浮遊 =不確定性
図8 316~317p 立体的な「窓」と化すコマ 空白・余白としてのコマ
大友は少女マンガを経由、浦沢は手塚を経由して、現在に至る
→青年マンガの固定フレーム・コマ ~ 少女マンガの不確定コマ
(中間帯に幼年~少年マンガ?) この幅にマンガ表現がある
マンガ表現=絵・言葉・コマ三要素 コマによって表現が成り立つ
絵画・文学へと純粋化しない絵・言葉をコマによって説話化・物語化した
近代の「純粋芸術」観成立と相補的に成り立った大衆娯楽媒体