オルタナティブ・ブログ > 成迫剛志の『ICT幸福論』 >

”情報通信テクノロジは人々を幸せにする”を信条に、IT業界やアジア・中国を見つめていきます。

鬱になる前に『左の頬を差し出す』というお話

»

週末出席した聖書についての講座で聴いたこと。

「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」

実社会でこんなこと、できると思いますか? と神父が問う。

その話が非常に興味深かったので紹介する。

実際に、右の頬を叩かれて、本当に左の頬を差しだせる人がどれくらいいるのだろう。 神父の答えは以下だった。

地位の高い者を、下位の者が叩いてしまったケース。

何らかの弾みで叩いてしまうこともあるだろう。 この場合、地位の高い者と下位の者の間には絶対的な上下関係があり、地位の高い者はこの下位の者の行いを許すべきだ、という意味では、"左の頬も差し出す"ことはあるだろう。 気が済むのなら殴りなさい、と。

しかし、地位の低い者が上位の者から叩かれたケースは違うかもしれない、と言う。

"左の頬を差し出す"ことがなくても、上位の者は右に続いて左の頬を打つことができるのだから。

右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい

これを実社会に当てはめると、以下のように解釈することもあると言う。

うつ病にならないために、左の頬を差し出す

世の中、理不尽なこと、不条理なことに溢れている。 残念なことに、実社会では自分の力だけでは何ともできないことも少なくない。 そんな状況に置かれた時、人は悩み苦しみ、それを続けている内に"うつ"になることがあると言う。

"ずっと同じことをしていると、ずっと同じことばかり考えていると、鬱になる" 絶対的な上下関係があるような場面で理不尽なことをされた時、その理由をくよくよと考えたりせずに"左の頬を差し出す"。

それは、"相手を許す"ことを意味するのではなく、"てやんでぇ、そんなに打ちたきゃ、左の頬もくれてやらぁ!"というような細やかな抵抗であり、"自分の『内』に籠らない"ための自衛手段だという解釈だそうだ。

ストレス社会で生きていく皆さん、一旦は左の頬を差し出して、気持ちを切り替えてがんばろう。

仕返しは、いつの日か、"倍返し" ですることにして。。。

Comment(0)