嫌いなものは食わず嫌いであることが多い
よく「食わず嫌い」と言われますが、大抵苦手な食べ物とは、過去の経験が発端になっている事が多いようです。本当の食わず嫌いということでもないようです。
「牡蠣」が食べられない知人がいます。過去にひどくあたったことがあり、それ以来食べられなくなったそうです。
こうなると、いかに「素晴らしい牡蠣です」とおすすめしても、食べられないかもしれません。
私も得意でない食べ物が何点かあります。
その中でもハチミツは苦手。
小児科でもらった風邪薬が苦すぎて飲めなかったので、父が薬にハチミツに混ぜて飲ませてくれました。
ハチミツで薬の苦みが和らいでなんとか飲めたのですが、それ以降、ハチミツをなめると薬の混ざった味を思い出し気持ち悪くなってしまうのです。
しかし、食わず嫌いとは良く言ったもので、イタリアに行ったとき出会った「栗のハチミツ」は、なんとなくメープルシロップの味を彷彿とさせ美味しく食べられました。栗の香りとほろ苦さが、はちみつ独特のべたっとした甘さを感じさせない気がします。
今でも普通のハチミツはなかなか手がでませんが、イタリアのメーカー、リゴーニ ディ アシアゴのオーガニックはちみつは、味も良く満足しています。シチリアのオレンジフラワーハニーはクリーミーでおすすめです。
あと、酸味のあるコーヒーが苦手だったのですが、それは時間が経過して悪くなってしまったコーヒーの酸味だったようです。
これも、管理のしっかりした状態の良いコーヒーの酸味を味わうと、その爽やかな美味しさに目から鱗が落ちるようでした。やっぱりコーヒーも果実なのだなあ、とあらためて感じました。
嫌いな食べ物も、結局はその食べ物本来の素晴らしさを知らずに嫌いになっていたのです。
これはどんなことでも言えるのではないでしょうか。
例えば、私は合唱チームビルディングを行いますが、学校時代の合唱の思い出から嫌いになってしまっている人が多いので、始めるときが一番大変です。
その思い込みさえ払拭できれば、大抵の方は食わず嫌いだったことに気がついていただけているのではないでしょうか。