人の悪口に気をつけなさい それはいつかその人の運命となる
人が二人以上集まると、ついつい人の悪口になってしまうことがあります。
誰か口火を切るとそれは麻薬のようにヒートアップする。
本当はそんなに悪い人ではないはずなのに、最後は「この人許せない」というような雰囲気になっていて驚くことがあります。
人の悪口を皆で言った後というのは、気持ちが良いものではありません。
どうしてなのだろうか?と、よく考えました。
自分が言っているとき、正義感や、どうしようもないコンプレックスから出ているというのが見えていなかったのです。本当はうすうす分かっているのです。後からそんな自分を感じ取って嫌になるのだと思います。
その気持ちを味わいたくなくて、私は、人のいわれのないような悪口が出ると、一歩引いた立場をとるようにしています。気持ちは分かりますが、たいていは何もよい方向にいきません。言える雰囲気なら「こういう良い面もあるよ」と水を差してみたりします。
これは、良い子ぶっているわけではなく、自分が言われた側の経験をしたことがあるからです。
グループで、あるとき、いきなり周囲の目線や空気感が変わっていることがあるのです。また、1週間前まで良かった関係のはずだったのに、挨拶したときにの目線に違和感を感じることもあります。それは、思いもしないときに突然空気のように沸き起こります。
その空気は一度沸き起こるとなかなか変わるのは難しい。たぶん、どこかで何かのきっかけを与えていたのは自分であろうと自省を繰り返すのです。
そのとき、思ったのは、言葉というのは言えば言うほどバイアスが加速度的にかかるということです。
言葉は怖いと思うときです。
言葉は心を動かすからです。
だから、他人に対することだけではなく、自分に対するネガティブな言葉や、決め付けは、知らないうちに自分を切り崩しています。
それなら、良い人生にしたいなら、良い言葉を使うようにしていけばいいのではないかと思いました。
ただ、これも、そう簡単にはいかないのです。
心のわだかまりやむすぼれは、知らないうちに支配していて、よほどしっかり見ていないと自分では気づきにくいのです。
あるとき、知らないうちに言葉に出てしまって、人から指摘していただいたりしてハッとすることがよくあります。
未熟だなあと思う瞬間です。
それでも、心に感謝している気持ちがあるなら言葉に出して伝えたり、日頃から意識して良い言葉を使ったりしているうちに、少しずつでも人生がよい方向に導かれるのではないかと思っています。
よく知られていますが、マザーテレサの言っていたことを思い出します。
「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命となるから。」
言葉や行いに良心を込めること。自分の運や人生を悲観する前に。