役柄のない芝居
高倉健さんという役者の演技をみていると、あまりに自然で、芝居をしているのか、高倉健そのものなのか、分からなくなることがあります。
高倉さんは「そのときよぎる本物の心情を表現する」
とおっしゃっていることから、その芝居は、やはり高倉健という人を通しての本物なのだと納得します。
そのため、ご自分の感受性に磨きをかけるため、読書や美術品鑑賞、映画、音楽などに常に触れて、「心を震わせている」状態にしておくのだそうです。
敏感に反応する繊細な心を維持し続けるのは大変なことです。
繊細であればあるほど、様々なことを感じすぎてしまい、世の中を渡っていくことは至難となります。
そのため、最近の高倉さんは慎重に仕事を選びます。
一つ映画を撮ると長い期間休みをとらなくてはならないほどの集中を持って仕事をする。
「自分があとどのくらい仕事ができるのか?」「もうこれで最後かもしれない。」
そう自らに問い続け、一回一回の仕事が真剣勝負。
だからこそ、素晴らしい芝居ができる。
その役が、初めから高倉健さんのためにあったかのような演技ができる。
私は、夢を語るリーダーとは、高倉健さんの芝居と似ていると思います。
高倉さんは「芝居とはその人の生き方が出る」とおっしゃいます。
繊細な心を震わせ、言葉をつむぎ、その夢を伝えるために、より多くの方に伝えるために、どのようにしたらより力強いメッセージが心に届くか。
芝居というと「操作主義」と感じられるのかもしれませんが、そうではないと思います。
あのスティーブ・ジョブズのように何度もリハーサルを重ねるプレゼンをみていると、やはり高倉さんのような周到な芝居を感じます。
人に夢を与えるような存在であるリーダーの語る言霊とは、震えるような心からあふれ出る、命懸けの芝居のなのだと思います。