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ライフワークとしての学びを考えます。

「おつりが多かった。得した。」 こういうの実は損してるって

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最近、ちょっとした買い物して、お店の方からいただいたおつりが少し多かったことがありました。
まったく気がついていない様子でしたので「多いですよ」と言いましたら、大変恐縮なさって正しい金額をくださいました。
 
今度は、近所のレストランのランチで、お勘定をしたら200円ほど高いような気がしたのですが、急いでいたのでそのままお支払いしてきました。すると、その日の夜に、お店の方からお電話をいただきました。予約をして行ったので番号ご存知だったのでしょう。
 
「余分にいただいていませんでしたか?これからお宅まで200円をお届けに参ります」とおっしゃいます。
お店が終わって売り上げの計算をしてみたら、どうしても200円多く、私のときだと気がついたのだそうです。「なんだかモヤモヤして。どうしても届けたい。」と言います。
 
「夜の営業が終わってお疲れであろうし、明日ちょうど出かける前にランチに寄りたいので、明日の予約をさせてください。また美味しいランチを食べにいきたいので。私はすっかり忘れていましたから、本当はもういいのですが、おつりはそのときに返金くださればいいですよ。」と、
そう申し上げました。
 
 
「なんだかモヤモヤする」
 
もう一人の「良心」という自分がこの行動を必ず見ています。
この方は、ご自分の良心をしっかりと感じられているのではないかと思います。
 
日頃の行いが良くなければ、潜在意識にうったえて良心の存在を曇らせてしまうことがあると感じます。
 
私は、「してやったり」「でかした」「自分だけ成功したい」「バレなければいいや」と感じる自分の存在も知っています。
それは無くしようがありません。もし良心の存在が雲ってしか見えなくなれば、そうではない方の自分が勝つでしょう。潜在意識は、無意識の領域です。自分でコントロールできない一方、マイナスの負荷がたまっていくような気がします
 
これは恐ろしいことだと思います。
これこそ人生にとっての大きな損失ではないでしょうか。
 
このような小さなことの積み重ねがやがて大きくなり、良心の存在を忘れ、社会の規律に反するような行動になっていくのではないかと考えます。
例えば、脱税などは仕方ない場合もあるかもしれませんが、自分の良心が常に敏感になっていれば、繰り返すことは防げるのではないでしょうか。
 
「一回だけならいいや。」
 
そう思ったら、良心が曇ります。何度もやったことと同じだと私は考えます。
人を押しのけて、利用して成功したとしても、その影で悲しい思いをしている人がいます。曇ったとしてもやはり良い心は必ず覚えています。心は痛んでいます。それは自分にいつか判決を下すのではないかと思います。その痛みが大きければ大きいほど、判決は重いのではないかと思います。
 
五感ではなく、良き第六感を感じたい。
 
人生の大事な場面において働く第六感というものは、潜在意識から来るのではないかと信じています。その潜在意識をいつもクリーンにしておくことが人生にとっての得策ではないかと思います。
 
それが自分の人生を切り開くことにつながるのではないか。
そして、そこから良いご縁がめぐってくるのではないか。
最近、特にそう思っています。

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