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ライフワークとしての学びを考えます。

こんなはずではない自分 なぜ美容院の鏡に映る自分に嫌悪感を感じるのか

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ある日、美容院の鏡に映っている自分のしゃべっている表情が、想像していたのと違うことに気がつき、心がざわつくことがあります。
鏡を見るときというのはたいてい「意識した自分」を見ています。自然に行動している状態を見るというのは滅多にありません。
さらに、美容師さんが話しているときに、自分がふっと黙るときの顔。悪気はないのに、「こんなはずではない」と嫌悪感を感じました。知らないうちに無意識の心が顔に出ていたのかもしれません。

 
仕事場や仕事関係になると、どうしても合わない人はいます。
その人がいると思うと朝から行きたくなくなってしまうほどのこともあります。
 
それでも、仕事とはご同行。
このままでは良い仕事ができません。
 
こういうとき、上手くいかない理由を自分以外のものに探してしまいます。でも、いくら理由を並べてみても、相手はほとんど変わらないのです。
それなら、自分が何かしら変わるしかない。
 
自分自身がとっている方法があります。嫌でも何でも「○○さん、有り難うございます」と口に出して言ってみる。最初馬鹿馬鹿しくなりますが、何度も繰り返す。あるところで気持ちが悪くなってくることがあります。
 
そこで一度「なぜ、こうなるのか?」と考えます。
それは、自分とその人にどこか似ているところや、本当は自分の中にある嫌な面で普段は我慢して抑えている部分を感じていることに気がつきます。
 
「そういえば、自分もそういう面があるな」と、ふとそう感じます。
 
美容院で見た、意識していない「嫌な自分」。
それがなぜか嫌いな人に似ているように感じられることがあります。
嫌いな人は、自分と似ている面がある。
嫌いな人には自分の嫌な面を感じるなのだろう。だから嫌いなのは自分への嫌悪感なのではないか。そう思えました。
 
だから、感謝するとは自己との和解なのだと考えます。
 
感謝していると、次の日その方とお会いしたとき少しだけ雰囲気が柔らかくなっています。これは本当です。
私は、そのときこそ「いつも感謝しております」と声をかけさせていただきます。そうすると相手の方も、最初は「あれ?」という表情になりますが、その後関係は改善され、良好になります。
 
以前は、どんな方法をとってもだめでした。しかし、感謝の気持ちはすべてを癒すのだということを実感として思いました。
 
私は、どなたにでも「頑張って乗り越えよう」ということは言えません。
ストレスで体調を崩してしまうほどなら、身内でなければ、その場を離れるという手もあると思っています。昔は自分も逃げたことがあるからです。
しかし、次の仕事がすぐに見つかるともいえない世の中です。音楽業界は厳しくて二度と同じ仕事はこないので、そう簡単にはいきません。
 
私の場合は、逃げた先で全く同じようなことが繰り返されました。逃げても同じような人が追ってくる。新しい転地は今より良くなるはずと思っていたのは幻想だったのかもしれません。
きっとそれは、自分が解決しなければ一生おいかけてくる人生の宿題ではないかと感じます。

自分というのは見えているようで意外に見えていない。嫌な自分というのは、普段気がつかないふりをしているだけ。嫌な人とは自分の鏡でもあるのです。

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