泣きたかったら泣いてもいいじゃないか この人はかなわないなあと思う人
「この人はかなわないなあ」と思える人がいる。
現在社会的な地位もある人なのに、「この人、段取りの悪い男なんですよ」と皆の前で言われると、「ハイ・・・、私、段取りの悪い男なんです」と、いかにも申し訳なさそうにする。それが卑屈でもなんでもなく、その方の人間性がにじみ出て、なぜか感じ良い。
皆の前で質問を受けて、「申し訳ございません。私、不勉強で分からないのです。どなたか詳しい方いらっしゃいますか」と、自然体でサラリと言える。分からないものを分かったフリをしない。
「ぜんぜん駄目だ!やり直してこい!」と怒鳴られても、「はい。やり直して参ります。お教えいただき有り難うございます。」と、逆に感謝してしまう人。そして、それがまったく慇懃無礼さを感じさせない。
そして。
本当に感動したら、本当に悲しかったら、人前であっさり泣ける人。
私は、そんなとき「男のくせにめそめそして」とは思いません。
「私は駄目だ」「未熟だ」と謙遜していても、もう一人の自分がプロテクトしていて「認めていない」人。これは聞いていてわかります。
そして、自分自身を振り返っても、「こんな私でも」と言いながら、心の動きは「そこまではひどくないだろう」と思っているもう一人の満更でもない卑小な自分がいる。
人間誰しも、自分の弱さは認めたくないものです。
そして、それは消し去ることはできない。
かなわない人とは、そんなもう一人の自分が見えている。
そして、自分の弱さを認めている。
負をさらけだす。
毅然としていて、悠然と、スキがなく、そしてプライドと自信にあふれている人。
素晴らしい。
凄いなあと思います。
しかし、「この人はかなわないなあ」と思ってしまう人。
これは別次元。
自分がまだ到達できない境地に行かれていると感じるからこそ、かなわない。
そしてその方々の過去を聞くと、たいていは、会社を倒産させてご苦労していたり、大病をなさっていたり、難しい社会状況におかれていたり、困難を乗り越えられている方が多いことに驚き、また、納得します。
かなわぬ夢かもしれませんが、
いつかそんな人になってみたい。
自分の弱さをさらけ出せるのは本当に強い人しかできないことだと思います。