皆さんのことを言っているのではないって言うけれどそれは一体誰のことを言っているの?
否定的なことや、悪い例をあげたあと、「いや、決して皆さんのことを言っているわけではないのです。」「ここにおられる意識の高い皆さんはそんなことないと思いますが」「もちろんあなたは別ですよ」と、断りをいれる方がいます。その場の聴衆にいかにも該当しそうなことなら、なおさらきちんとおっしゃる。
これは、経験を積まれた経営者や政治的なお仕事をしてこられた方などに共通して見られるように思えます。
私は人の話しを聞くときに、自分の体験と重ね合わせながら聞いています。
思い当たる節があると、もしかしたら自分のことをいわれているのではないかと思ってしまい、頭から離れなることがよくあります。
だから、その言葉を聞くと、「それは完全に自分のことではない」と思うことはありませんが、その場は少し安心して聞いていられます。
もし聴衆の中にズバリ該当する方がいらしたとしても、それ以外の多くの人は私のように感じて不安な気持ちになってしまい、話しから気持ちが離れてしまう。そうすると本来の「伝えたい」という目的が達成できません。
また、一人でも極度に否定的な気持ちになってしまい、斜に構えたり、反抗的になってしまうと、その人に場の空気が支配されてしまいます。
これは不思議なことなのですが、集中して話を聞いていると、不満を持たれた方や、やる気のない方が黙っていたとしても、全員から見えない位置でも、それは雰囲気で伝わります。そこだけが、ぽっかりと穴の開いたような状態になり、全体の「気」が吸い込まれるような状態になるのです。
そうなっても、やはり良い講演とはいえません。なぜなら講演とは全体の共同作業だからです。
また、良い講話を聞くと、まるで全て自分のことを言われているような気がします。
それは、話しの内容が物事の一番深いところ、人間の本質や物事の真理をついた普遍的な内容だからなのだと思います。
だから、「皆さんのことではない」と言いながら、本当は「あなたのことですよ」と言っているに等しいと私は感じます。
素晴らしい方は、自分の与える影響力や、集団における心の生態系がよく分かっていらっしゃるのです。伝えたいことを伝えながら、その場の聴衆が聞く気持ちになってくれるよう、全体が集中力を高められるよう、微妙なバランスをとりながら話を進める。
見ていて、それは芸術的でさえあります。
「皆さんのことを言っているのではないのですよ」「皆さんは意識が高いのでそんなことはない」
こう言って「そうかそうか」と思って忘れてしまう人はそこまで。
心ある人は「そうは言っても、自分にも当てはまることがあるな」と必ず後で内省します。
素晴らしい講演者や指導者とは、そこまで読んで語っているのだと最近感じます。
「あなたのことを言っているのではない」
それは、わざわざ言う意味があるのです。