あなたの人生最後の日をお教えしましょう、と言われて知りたいだろうか
映画「T3」(ターミネーター3)の中で、アーノルド・シュワルツネッガー演じるターミネーターが、後に人類抵抗軍のリーダーとなるジョン・コナーに、未来の死ぬ日を年号と日時まで詳しく告げるシーンがありました。
それはすぐではなく、何十年も先の話だったのですが、そういうとき人はどのようなことを感じるのか、と考えました。
私の前にある人物が現れて「あなたの人生最後の日をお教えしましょう」と言われて、はたして知りたいだろうか?
結果、平均寿命までまっとうできると聞いて安心するのかどうか。
3ヶ月先と聞いて、慌てて一日一日を必死に生きるのかどうか。
逆に、その結果次第で生き方を変えるのか。
そんな生き方をしているのか。
自分に問いました。
私の知っている人で、死の際から生還した人がいます。
その方はその後、人生に対して腹が据わりました。何事も優先順位を決め、猛烈な集中力をもって、どこからこんな素晴らしい考えがわいてくるんだろうと思うほど新しいアイデアに満ちている。そして、「劣等感や嫉妬、そんなものを感じる時間があったらもっと良い時間に使う」と言います。人に対する優しさ、感謝を忘れず、自分の弱さを認めている。
「もし3ヶ月先に死ぬとしたら」
「もし明日死ぬとしたら」
こんなことを言う人に対して、なんと暗いことを考えるのだろうと思っていました。
しかし今は、死の方向から生をみつめなおすことが人生の豊穣を生きる核心ではないかと考えます。
モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、マーラー・・・・過去、人類に幸福を与えてくださった音楽家は、死を身近に感じざる得ない時代に生き、自分自身も死を考えながら、人間のあらゆる感情や哲学を音に封じ込めました。
彼らは、自分の生を見つめ、向かい合ったからこそ、他にはない自分の中にこそ存在するイノベーションを発見した。だからこそ、何百年たっても今のこの現代まで人類に愛されている。
私は、新しき良きものとは、自分の中にこそある。
それは、自分の生を死の方向から見つめたときにこそ感じることができるのだと考えます。
そう考えると、「さようなら」と人とお別れするのが愛おしい。喧嘩しながらののしりあいながら別れて、これが最後の別れであったらと考えれば、絶対に後悔はしたくない。
だから私は、もしある人物に「あなたの最後の日を教えてやろう」と言われたとき。
「教えていただいたとしても私の生き方は変わりません。だから結構です」
そう言えるような生き方をしてみたい。
今日という一日を与えられて、有り難うございます。
心からそう言えるような生き方をしてみたいと思います。