「私は運が悪い」 人とは違う素晴らしい仕事がしたい、個性的な生き方がしたいと思ってもできないのはなぜか
なぜ、いつのまにか人と同じことをしてしまうのか。
仕事でもプライベートでも、「こうあるべき」という自己限定の中に生きている。
それは安心だからかもしれません。
個性的な生き方をしたい。人と違う仕事がしたい。と理想を描く一方、無意識では他人と違うことをすることを恐れている自分がいるのを感じます。
一般的に、いくら良いものであっても「新製品は売れない」と言われます。
新しいものを取り入れる勇気を持ったところが採用しただけではヒットしません。
トップ5と言われる大手が採用すると、「A社さんやB社さんがやるといっているのですね、それならウチも」となり、そこから最初のジャンプをすると言われています。
様々な理由があるかもしれませんが、根本のところは他と違うことをすることへの恐怖心が動いているのだと私は考えます。
それでは、運悪く人生の危機が訪れた。その瞬間何を考えるか。
「なぜ私だけがこんな目に。なんて運が悪い」「ああ、あのときAではなくBを選べばよかった」「もっと健康に気を配るべきだった」「人間関係に気をつけていれば・・・」
「できることならタイムマシンがあったら過去に戻りたい。」
それくらいに思うかもしれません。
しかし、これも自己限定ではないかと思います。
Aを選べば安定した幸せな人生だったかもしれない。
しかし、後から考えると、「やはりBでよかったのだ、これは、私を成長させようとして何かが与えてくださった結果なのだ」と感じることがあります。
それなら、物事を限定しないで心をオープンにする。心の声の導きに従ってみようと思いました。
そうすれば、何を選んでも、何が起こっても、そこには自分を成長させようとしてくれている何かの声を聞くことができるのではないかと考えます。
ある指揮者の方とお話ししたときのことです。
「国内に残って音大の教授になる方法もあった。でも、先生に逆らって外に出た。コンクールに入って、海外で仕事がきたが、さらに怖くなる。上に行けばいくほど足元が地面から離れて不安になるでしょう?それと似た感覚がある。だから、不安がさらに勉強にかりたてるのだと思う。世に名が出て人と違うことをすれば、正比例して批判・酷評する人も増える。近寄ってくる人も増えれば、足を引っ張る人も現れる。その闘いでもある」
と言っていたのが印象に残っています。
何かが「この人は成長させよう」と思われた方には、必ず成長の「チャンス」が与えられる。そのチャンスとは苦難であることのほうが多いかもしれません。
死と隣り合わせの経験をし生還した知人が、「今、生きていることが楽しくて仕方がない。やりたいことをすべてやりたい」と、リスクにチャレンジすることをまったく恐れなくなったのを見ました。周囲の人は大変ですが、その方のここ8年の生き様はお見事としかいいようがありません。
私は、自分の中で自己限定しようとする心の動きが出たとき、出来る限り心をオープンにするようにしています。まだまだ難しく、恐怖心が勝ってしまうこともあります。
しかし今は、どんな道を与えられたとしても「タイムマシンに乗りたい」とは思いません。起こることはチャンスであり、すべて善きことであると信じています。