「いい女」には男が宿る
この人はどうしてこんなにセクシーで魅力的なのだろう、と思う女性がいます。
アルゼンチン出身1941年生まれのピアニスト、アルゲリッチ。
かつての美人ピアニストも現在71歳ではありますが、まだまだニコリとした笑顔と流し目にゾクッとするほどの色気を感じます。彼女の目力のある黒い瞳でじっと見つめられれば、どんな人でも勘違いしてしまいそうです。
指揮者のシャルル・デュトワ、ピアニストのコヴァセヴィチなどとの三度の結婚と離婚。
そして、気分が乗らなければすぐに演奏会をキャンセルして帰ってしまうキャンセル魔としても知られています。
彼女が若い頃のインタビュー録画を見たことがあります。
インタビューを受けているときのアルゲリッチは、独特のしぐさで黒いロングヘアーをくわえながら、しゃべるのがあまり得意ではないらしく、言葉につまると、「ね?言わなくても分かるでしょう?」といわんばかりの目くばせをする。それがまたなんともチャーミングで、男性でない私でさえ「可愛いなあ」と思ってしまいます。
「この人は、こうすると人が魅力的に思うであろうという表現を、意識せず本能的に分かっているのではないだろうか」とさえ感じます。
しかし、ひとたびピアノに向かうアルゲリッチの激しいパッションは男勝りそのもの。
男性をも凌ぐパワーと女性らしい柔らかさや香りを持つのですから、向かうところ敵無しとはこのことを言うのでしょう。
黒木瞳さんが、映画を撮影している現場の映像を見たことがあるのですが、真剣勝負の場で監督との男っぽいやりとりにしびれました。映画の中の女神のようなふるまいとはまったく別の顔なのです。
ある作家が、「人には三種類ある。男と女と女優だ」といようなことを言っていたそうですが、それは男でもなく女でもない。
村上龍さんが、ある女優さんとニューヨークでデートしたときのことを語っていたことがあります。彼女はミュージカルを観るとき、レストランに行く時、それぞれにふさわしいファッションと立ち居振る舞いで、村上さんを幸せな気持ちにさせたと言います。
いい女とは、最も女性らしいものと最も男性らしいものとを持つ。
だからこそ、男性、女性、両方の感性が本能的に理解できる人なのだと思います。
クラシックの演奏家というのは、そのほとんどが過去の男性作曲家の手による作品を演奏します。
作品を追求していくうちに、どうしても男性の気持ちにシンクロする瞬間が出てきてしまう。そういうときに男性の資質はとても有利に働くと感じます。
先日、行きつけの洋服店で店員さんが、
「私が男だったら、彼女にこういう服は着て欲しくないんですよね」
と、そんなことを言っていました。
本当にいい女は、それが無意識に嫌味もなく出来てしまう人かもしれません。
最近、ある会社にうかがったとき、女性管理職の皆さんが、女性らしい装いと気遣いでとても素敵だったことがあります。仕事の現場は、さぞかし厳しいものだと想像しますが、それをまったく感じさせないのです。相当の芯の強さをお持ちではないかと思いました。
自分自身、出来ないからこそ憧れるいい女。
いい女の中には男が宿っているような気がしています。