恨みの感情を持つならばしなくてはならない覚悟がある
中学2年生のとき、クラスメートからいじめにあったことがありました。私は特に気にしていなかったのですが、彼女は私のことがどうしても気に入らなかったのだと思います。
次の日、その方のお父様が急死なさいました。
お通夜に行ったとき、無表情でうつむき、涙も流していないその友人を見たとき、何故子供の私がそう思ったのか分かりません。「人を恨むことをしてはいけない」と強く誓いました。
こんなことは、冷静に考えれば偶然起こったことであり、子供じみた思い込みでしかありません。
以前も、いじわるされた友人が事情で突然転校してしまったことがあったり、他にも小さなそういうことが何度か起こっていたので、直感ですが、自分の中で何か漠然とした不安があったのだと思います。
しかし今は、そういうことではなく、人を恨む感情に何か恐れのようなものを抱いています。
「人を呪わば穴二つ」と言われます。
人を呪う時は、相手の分と自分の分、二つの墓穴を掘っておけ、という意味。恨みや呪いは自分に必ずはねかえって来る。激しい怨念を抱いて誰かを呪うならば、それくらいの覚悟が必要だということです。
そして、恨みの感情を心に抱えているほど辛いことはありません。
この感情にとらわれてしまうと、常に自由な心が支配されてしまい、素晴らしい成長の可能性を失います。気がつかないうち心を蝕んでいきます。
テレビのニュース番組で見る、不幸にして犯罪に巻き込まれ、長年の恨みを持つ方の表情というのは、大変に厳しく険しい。
人を逆恨みしたり、恨みの感情を持ち続けている方を見ると、さぞかしお辛いのではないだろうか、と想像します。
また、もしかしたら、知らないところで、覚えもないのに、誰かが自分に対してそういった感情を抱いているという場合もある。
何もないのにそのような事が起こるわけがありません。
自分がその種をどこかに蒔いていた結果なのだろうと思います。
それは、自分の行動を見つめなおしなさいという何かの声。
そして、一度起こってしまった恨みの感情を消し去ることはなかなか難しい。
自分に都合の良くない物事が起こったとき、人のせいにしてしまう習慣は、恨みの感情につながりやすい。どんな小さなことでも、この習慣はなるべく早いうちに解決したほうが良いと私は思います。自分にとって一つも良いことはありません。
自分自身にとって一番辛い感情は「恨み」の感情です。
この感情が出る前に対処できるよう、常にもう一人の番人が見張っていないとならないと思っています。
その番人の名前とは。
「感謝」です。