私が優しくなったら怖いですよ
「私が優しくなったら怖いですよ」
仕事では鬼と言われた、ある会社の代表の方がおっしゃいました。さらに穏やかな表情で続けます。
「仕事で厳しくするのは、ご縁があると思うからです。どんな方にも素晴らしい成長の可能性があると無条件に信じている。しかし、優しくなったとき。それは、”ああ、この方とは残念ながらご縁がなかった”と思ったときです。」
私が今まで師事してきた先生方は、人に対して怒ったりするような方々ではありませんでしたが、こと音楽に関しては厳しかったと思います。
先生が、ある企画でアマチュアの方を教えていらしたのを見たことがあります。
本当に優しかった。
気持ち悪くなるほど優しかった。
いつもと全然教え方が違う。
しかし、さすがだと思ったのは、褒めながらもその方の良いところを引き出しておられた。
しかし、プロを育てようと思ったら、そうはいかないのです。
先生は、私の可能性を信じてくださっていたのだ、とそのとき心底感じました。
私が、ある合唱団のピアニストとして弾いたときのことです。
そこの指導者は、「鬼のOO」と言われるほどの厳しい指導で知られる指揮者。
合唱団の第一声が、弾いている背中を切りつけらるような切れ味。そして次にやってくる包み込まれるような温かさ。
凄いと思いました。
しかし稽古の途中で、今まで黙っていたアルトのリーダーが口を開きました。
「先生、アルトを褒めないでください。私たちにもソプラノみたいに厳しく言ってください」。
これは、素晴らしくなるはずです。
「心の姿勢」ができている。
お見事、と思いました。
そして指導者も、楽団員の人生の大切な時間を預かっている、という重みをしっかりと背負っておられる。
「優しくなったら」
そして、「何も言わなくなったら」
そのときが一番怖いのだと思っています。