「君は良い子だね」「私は悪い子なの?」
私は自分の他に、あと二人の兄弟がいます。
親が他の兄弟を「OO君は良い子だね」と言うと、「私は悪い子なの?」と言う子供の自分がいました。
親は私のことを「悪い子」と言ったわけでもないのに、です。
しかしその感情は、大人になった今でも、口には出さないけれど続いているように思えます。
私の演奏会にいらしてくださって、
「先日、あなたと同じ作品を弾いたあのピアニストの演奏は素晴らしかった」
というお客様がいると、もしかしたら素朴におっしゃってくださっているだけなのかもしれないけれど、心の中では「あまり良くなかったのですね?」と感じる自分がいるのです。
その湧き上がる感情とは、どんな方でも持っているものではないかと考えます。
例えば、「あなたは良いですね」と誰かを褒めると、その瞬間そこにいる他の誰かから「私はだめなんですね?」という心の声が聞こえる。
その場の心の生態系がほんの少し波立つのを感じるのです。
バレーボール全日本女子元監督の柳本晶一さんは、その感情を上手く利用して、個性派揃いのチームを強靭なものに仕上げていきました。
柳本さんは、信頼関係が出来た選手に対してだけニックネームで呼びます。
例えば、才能があってもさぼるのが上手い選手には、その精神を変えるために「ケンカ相手を見つける」。ポジション争いの相手をぶつけるのです。
ケンカ相手はニックネームで呼び、その選手はいつまでも苗字で呼ぶ。選手は不安になり、さぼっている余裕は消えて自分を追い込みだす。
そして、試合で使うと決めたときは、初めて「シン、頼むぞ」と意図的にニックネームで呼ぶのです。
この話を知ったときは、「なんという操作主義だろうか」と思いましたが、短い期間でオリンピックに出場するという結果を出すには、このくらい強い方法をとらないとならなかったのだと思います。
やはり、柳本さんという名将ならではの器と、選ばれた精神力の強い選手たちだからこそ可能であった方法だったのでしょう。
これを普通の人が真似をしたら、チームは破綻してしまうかもしれません。
しかし、人の心理は微妙で、呼び方一つ、声のかけ方一つにも気を遣うものなのです。
私は、自分がリーダーの立場であった場合、ニックネームは使わないと決めています。
本当は、ニックネームで呼びたいです。
全員を完璧にそう呼べればいいのですが、どうしてもニックネームの人とそうでない人が出てしまう。そうすると不平等感が広まってしまうのです。
そうであるなら、ニックネームは使わないほうが良いと考えました。
「私は悪い子なの?」
今でも心の声が聞こえてくる。
その声にいつも耳をすませていきたい。
そう思っています。