「春の祭典」の狂気
ここのところ肌寒いですが、桜も満開になり、春ですね。
ストラヴィンスキー(1882年~1971年)の「春の祭典」をご存知でしょうか。
1913年にパリで行われた初演は、音楽史上未曾有の大混乱を巻き起こしたと言います。
その音楽の巨大なスケール、パワフルな音量、ぶつかり合うサウンド。
それほど、今までの音楽の常識をひっくりかえすような衝撃的な内容だったのです。
私が初めて「春の祭典」と出会ったのは、学生時代。
指揮レッスンの伴奏で弾くことになりました。
普通、指揮のレッスンをするときは、2台のピアノがオーケストラの音を弾いてレッスンをするのです。
渡された譜面を見て、相方と顔を見合わせました。
膨大な音、ものすごい不協和音、呪いの呪文のような反復される旋律、そして、通常のレベルを超えた変拍子。
練習にとりかかると、血がたぎり、頭の中が燃えるようで、寝ても覚めても「ハルサイ」の日々。狂気と正気ぎりぎりの音楽。
一気にそのプリミティブなエネルギーにとりつかれてしまいました。
現代の私たちは、ハード・ロックやヘビー・メタルなど、こういった音楽的サウンドになれているのですが、当時の聴衆はさぞかし驚いたことと思います。
「春の祭典」の編成は管楽器が多く、ブラスバンドをやったことのある方なら、この曲の管楽器テクニックとアンサンブルの凄まじさがお分かりになるかと思います。
私が仕事を一緒にしていた指揮者の先生は、日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会で、暗譜で振ったときのことを話してくださいました。
「渡邉暁雄先生は、『岩城(宏之)君も小林(研一郎)君も暗譜で振るヨ』とおっしゃるから、もう暗譜でなきゃと思った。週に2日は徹夜。本番3日前になっていきなり暗譜が出てこなくなった。先生のとこ行って『もう、だめです・・・』と泣きついたら、『君、寝てないんじゃない?帰ってすぐ寝なさい』って言われてね。寝たら出てきたよ。」
管楽器も厳しいですが、この曲はとにかく指揮者が怖い。
岩城宏之さんは、メルボルンのオーケストラを振ったとき、最後のクライマッスで分からなくなり、オーケストラを止めて、また途中からやり直しをしたことがあるそうです。想像するだけでも悪夢のようです。
それでは、今日は、フィンランド出身の指揮者、サロネンの指揮、LA フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、『春の祭典』第2部「生贄」より最後の部分を聴いてみることにいたしましょう。
大地が息づき狂乱の儀式が始まります。うねり、ゆがみ、叫び、鬼神のような変拍子に突入。生贄の乙女は太陽の神イアリロに捧げられるのです。
なんとシャープな切れ味とスピード感!
アメリカのオーケストラらしい、輝かしく明るい響き。よくぞここまでと思わせる、一糸乱れないアンサンブルはお見事。
最上のバランスが保たれ、複雑なスコアが明瞭に聴こえてきます。
クライマックスの緊張感と躍動感は、もう、いてもたってもいられなくなるほどです。
思わず出たであろう、オーケストラを称えるようなサロネンのガッツポーズは納得です。
超名演だと思います。
夜、満開の桜の下に立つと、穏やかに咲き誇る花たちにただならぬ狂気を感じ、いつもこの曲を思い出します。
★「春の祭典」全曲(サロネン指揮、LA フィルハーモニア管弦楽団)