なぜ女性指揮者が少ないのか(その1)
「ピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人と同性愛者と下手糞だ」
こう断言したのは、歴史的大ピアニスト、ウラディーミル・ホロビッツ。
もうホロビッツくらいになると何を言っても許されるかもしれませんね。
世界の指揮者事情も、まさにそれに近いような感じかもしれません。
世界的権威のあるオーケストラを振るような指揮者となると、男性でも東洋人はまず難しいと言われています。
しかも女性指揮者ともなるとさらに困難を極めることになります。
しかし、この頃は、日本人でも国際的にご活躍なさっている女性指揮者が現れ始めて素晴らしい限りですね。
もちろん、外国でも名門オケを振る女性指揮者は増えています。しかし全体的に見て、まだまだ少ないのですが、その一般的な理由として・・・
・もともと男性の仕事というイメージなので女性の志望者が少ない
・超名門オーケストラでも、伝統を重んじて最近まで女性を入団させなかったりするところがあるくらいで、基本的に男社会
・統率力や名声の象徴でもある、指揮者に対する固定観念がまだ残っていて、その壁を突き破るような強い説得力のあるモデルケースが登場していない
・能力はあっても、体力的にもたないということ言われて採用が難しい
・男性と女性では、脳の発達しているところが違い、男性のほうが空間能力や構造的な思考能力が発達していると言われている
・・・などなどがあげられます。
体力的なことは、男性で80歳過ぎの巨匠が現役で振っているくらいですから、これは後付けの理由かもしれませんね。
やはり、クラッシックの音楽界は独特の伝統的な考え方があり、そこが一番のネックのようです。
ベルリン・フィルは1982年、ウィーン・フィルは1997年に初の女性奏者が入団しています。
ベルリン・フィルは、1982年、帝王と呼ばれた指揮者カラヤンが、オーケストラの大反対を押し切って、女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを強引に入れたのですが、その後マイヤー自身がいたたまれなくなったのか、自ら辞めています。
ウィーン・フィルの場合は、伝統を重んじて、1990年までは、なんと「ハプスブルク家支配下地域出身の男性」のみで構成されていたくらいなのです。
ニューイヤーコンサートでも聴くことができる、あの独特の音色やリズム、響きはこのようにして頑固に守られてきていたのですね。
昨日の女性シェフの記事でも書きましが、伝統ある男社会・・・しかもプロフェッショナル集団に女性が切り込んでいくことの大変さは生半可なことではないと思います。
また、脳の適正について、高校時代の担任で、作曲の先生がおっしゃっていたことが今でも心に残っています。
「ぼくは、フランスに留学して強く感じたのだけれど、そもそも、日本人というのは作曲に向いていないと思った。女性だったら脳の発達している部分が違うから、もう少し難しい。
あと、指揮者、ピアノ、建築もそうだと思う。
音やパーツが多くて、それを構造的、建築的にに考えることより、平面や線で考えるほうが得意な民族だと思う。
だから、弦楽器などの旋律楽器だったら世界と勝負できるんじゃないかな。」
そうなると日本人で、女性だったらさらに不利だということですね・・・。
このような状況ですから、女性指揮者がなかなか成功しにくいのも納得がいきます。
今は無名だけれども、見えないところで力を持っている人もたくさんいるのです。
頑張っている女性指揮者を応援していきたいですね。