計画に長い時間を掛けたところで、あまり意味がない
夏が、とうとう終わりを告げようとしています。
まだ暑さは残っていますが、先日歩いていたら、落ち葉を見かけました。
時間は私たちの意志とは関係なく過ぎ去り、あっという間に季節は変わっていくのだと感じます。
「時間の流れ」を感じると、焦る人も多いでしょう。
現状と計画とを照らし合わせて、一喜一憂している姿は良く見かけます。
しかしこの「計画」というものは、どうも曲者だなと感じるのです。
例えば年間計画を立てるとき、あなたはどのように考えるでしょうか。
恐らくほとんどの場合、月単位で数字を当て込んでいきます。
そこには繁忙・閑散期であったり、過去の実績に基づく時期変動を加味した数字が浮かんでくることでしょう。
よく期末が近付くと、幹部ばかり毎日のように会議・・・などという光景も。
私はこの「計画」について、そこまで時間を掛けません。
計画に長い時間を掛けたところで、あまり意味がないと思っています。
極端な話をしてしまえば、年間の数字計画など「毎月年間目標÷12」で終わり。それで良いと思っています。
反論も聞こえてきそうですが、どちらにせよ変わらないものがあります。
それは、「1年間で達成すべき総計」です。
綿密に月毎の計画を立てようが、ざっくりとした数字で計画を立てようが、最終着地目標は変わらないわけです。
それならいっそ、計画に費やす時間もより生産性のある活動に向けた方が、良いのではないでしょうか。
計画立てに力を注ぐと、いざ実行する場面でパワーが出ない・・・ということもあります。
計画が決ったことに、満足してしまうのです。
このとき、もし幹部が「計画は立てる。実行するのは現場の仕事だ。」などと考えているなら、それこそ大きな間違いです。
目標の達成を目指すべきは、社員個々である前に会社なのです。
あれこれ悩んで時間を費やす前に、まず動くスタート地点に早く立ってしまう。
これも、1つの効果的な形だと思うのです。