フィリピン台風と足尾台風 ー 情報の大切さと、社会インフラの課題
今年最大規模の台風がフィリピンを襲いました。
死者は1200人に達する恐れがある、という報道もあります。
【東京新聞】フィリピン台風被害 100人超遺体 現地報道、75万人避難
【日経新聞】フィリピンに台風30号が直撃 死者1200人超か 被災428万人に
亡くなられた方々のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
日本では、最近は事前情報がかなり詳細かつリアルタイムに伝わるようになったため、大型台風でも被害は減少傾向にあります。
しかし数十年前までは、台風で数百人・数千人単位の方々が亡くなっていました。
例えば、明治維新以後で最大の被害をもたらしたのは1959年の伊勢湾台風で、死者4,697名、行方不明者401名でした。
小規模の台風でも大きな被害が出ているケースがあります。
例えば、1902年に「足尾台風」という台風がありました。
Wikipediaによると、比較的暴風域の規模が小さい豆台風だったものの極めて強力。最低気圧は955.8hPa(館山)、最大風速は筑波山で72.1m、銚子で44.8m(ともに補正値)だったそうです。
足尾台風は以下のような被害をもたらしました。
■神奈川県では高潮が発生。横浜港では停泊中のドイツ郵船「プロイセン号」が流され浅瀬に座礁、汽船「カーリー号」も防波堤に乗り上げ、小型蒸気船や臨時税関の工事船も沈没。
■栃木県では、死者・行方不明者219名、家屋の全壊・流失約8,200戸。足尾で雨量315mm、渡良瀬川が洪水。足尾町内では神子内尋常小学校が流出。日光中宮祠では土石流発生。中禅寺湖に流れ込んだ土砂が3mの高波を起こした。
■茨城県では、死者・行方不明者118名、家屋の全壊・流出20,164戸を記録。
豆台風にも関わらず被害が大きかった理由の一つは、当時は海上の気象観測網が極めて貧弱で、気象情報が得られず、上陸直前まで観測網にひっかからなかったためでした。
最初にこの台風の存在が確認されたのは、1902年9月28日の明け方で八丈島の北東。
その日の朝8時に房総半島上陸、10:20に栃木県足尾付近を通過、11:30に新潟県から日本海に抜けました。
恐らく当時の人達は、朝、何も知らずに普段通りに目が覚めたら、いきなり台風のまっただ中にいた、という感じだったのではないでしょうか。
現在であれば、気象情報も進路予想も正確に把握できますし、建物も頑丈になっています。
ですので、事前対策でかなり被害を押さえられます。
しかし当時は、台風は上陸するまで分からないことが多かったのですね。
現時点でフィリピン台風の被害の実態はまだ詳細が分かっていません。
「75万人が避難した」ということなので、これでも事前情報でかなりの人達が助かったのでしょう。
しかし一方で、今回は最大風速90mというとてつもなく強力な台風でした。
台風に耐えられる社会インフラ構築も、新興国ではこれから課題になってくるのかもしれません。