「人が減ると、本当は不要だった仕事が見えてくる」という自分の体験
何回か本ブログでご紹介している武蔵野社長・小山昇さんの著書「経営の心得」で、140番目のメッセージに以下の言葉がありました。
---(以下、引用)---
半分のお客様がいなくなったら会社は潰れるが、
社員が半分辞めても潰れない。お客様の25%がなくなったら会社の危機。半分がなくなったら倒産です。
しかし、社員が半分辞めても会社は潰れません。
私が社長になって、それに反対したナンバーツーが社員を半分引き連れて辞めたことがあります。それでも会社は潰れませんでした。
一時的には大変ですが、仕事も、人も、いらないものが見えてきて、その後の経営は良くなりました。---(以上、引用)---
この一節を読んで、18年前に、私がプリセールスをしていた頃を思い出しました。
1993年。私が企画担当者として、IBM大和研究所で開発して、世の中に送り出したある製品。
出荷してみたら、私が「これだけ売れる」と企画した数字よりも2桁少ない数字しか売れませんでした。
「『売れる』と言った本人が、責任を取る」ということで、私はプリセールスのチームに入りました。
このチーム、次長1名、課長1名、主任3名(=うち1名は一番若手の私)、先任1名、契約社員2名の合計8人の所帯でした。
翌年、このチームは大幅に縮小され、私よりも上の人達は、全員他部門に異動。
当時32歳になった私は、次長を継いでチームリーダーになりました。
チームは主任1名(=私)、先任1名、契約社員2名の合計4人。人数は半減。総人件費はおそらく1/4程度になったのではないでしょうか?
私以外は全員20代で、前年まで平均年齢30代後半だったチームは、一気に若返りました。
最初に私は、残った3名のメンバー一人一人と、このチームの課題をどのように考えていて、自分が何をやりたいのか、徹底的に話し合いました。
もちろん会社組織ですから、大人の事情があります。個人の希望を100%叶えることはできません。しかし実際に話してみると、意外なことが分かりました。
例えば、いつもお客様向けデモを担当していた契約社員の女性。容姿端麗ということもあり、前職の次長はお客様向けのデモを専任でお願いしていました。
しかし本人の口からは意外な言葉が。
「私、本当は内気で人前に出るのが苦痛で...。それよりも、お客様向けの資料を作りたいんです」...実は、クリエイティブ系の仕事を希望していました。
そこで、私なり他の人なり、お客様に説明する人が自分で操作を覚えてデモをすればよいので、彼女にデモをしていただくのは止めて、お客様向けの説明資料作成を専任で担当していただくことにしました。
その後、私のチームからは、お客様目線の素晴らしい資料が生まれるようになりました。
契約社員の男性。それまでは前職の次長が考えたデモプログラムの実装を担当していました。
しかし実際には、お客様の要望をプログラムに落とし込む、という仕事をやりたいとのこと。それまでは思い込みで作っていたデモプログラムも多かったのです。
そこで一緒にお客様を訪問して、お客様の要件をお聞きし、それを実装する仕事を担当していただきました。おかげでチームの機動力が増しました。
いつもデモを担当してくれていた先任の女性。彼女はプロフェッショナルで、人の気持ちをくみ取るのがとても上手。
そこで、引き続きデモを担当いただくとともに、あるお客様の大型案件を獲得した際に、製品のユーザー向け研修を行うことになり、一人でこの研修プログラムを開発してくれました。
実際に担当していただいて、人に分かりやすく教える能力も非常に高いことが分かりました。おかげで、お客様満足度は大幅に向上し、製品ライセンスの追加オーダーもいただくようになりました。
実際に各メンバーと話し合って分かったことは、実はそれまでのチームには無駄な仕事が多く、かつ、仕事の割当ても本人の希望や能力と必ずしも一致していなかったこと。それでも彼らはちゃんと仕事をこなしていたこと。しかし必ずしも成果を生んでいなかった、ということでした。
そして、無駄と分かった仕事をやめて、本来必要な仕事を絞って定義し、チームメンバー各自の能力を活かせるような本当にやりたい仕事をやる、という体制に変えたところ、チームの生産性は非常に向上しました。
具体的な数字で言うと、チームの人数半減・人件費1/4になったにも関わらず、チームの売上は倍になりました。「企画した数字の2桁小さい数字しか売れなかった」という製品も、胸が張れる数字まで売れました。
製品のプロダクトライフサイクルが進んで、立ち上がり段階まで進んだ、というマーケットの環境も、製品の売上が増加した要因かもしれません。
しかし、小山社長がおっしゃるように人が減ることで、「いらないものが見えてきた」こと、そしてメンバー全員が本来持っている力を発揮した、ということも、大きかったと思います。