五式戦闘機に見る、商品開発の難しさ
苦難の末開発した商品がなかなか成功せず、間に合わせでとりあえず作った商品が大成功する、ということは、往々にしてあることです。
私がこのケースで連想するのは、旧日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」と五式戦闘機です。
旧日本軍は、航空機には伝統的に空冷式エンジンを使っていました。しかし三式戦闘機では、当時の同盟国・ドイツのダイムラーベンツ社製エンジンDB601を国産化した液冷エンジン「ハ-40」を搭載しました。
液冷エンジンの方が前面から見た断面積が空冷式よりも小さいので空気抵抗が少なく、速度の向上が図れるために、三式戦闘機にハ-40を搭載することで、米軍と戦うためには非力な当時の主力機・九十七式戦闘機と一式戦闘機「隼」を代替できる、という判断があったようです。
様々な苦難の末、正式に三式戦闘機の生産が始まりました。しかし実際に戦場に送り出されると、慣れない液冷エンジンを採用したために現地では整備が難しく、実際の稼働率が低かったためになかなか活躍できませんでした。
その後、エンジンの性能向上を図りましたが、エンジンの生産遅延のために、三式戦闘機生産工場にはエンジンが装着できない「首なし」機体が約300機並ぶ異常事態になりました。
そこで軍需省は昭和19年10月、実績があり 「枯れた」空冷エンジン『ハ-112-II』に換装するように命令を下し、技術陣の必死の努力によりわずか3ヶ月で空冷エンジンを搭載した三式戦闘機は初飛行にこぎつけました。
結果は、前面の断面積が増大したために速度は低下したものの、液冷エンジン関連の装置が不要になり300kgもの軽量化と重量バランス改善により上昇力、運動性能が格段に向上、非常にバランスがよい戦闘機に仕上がりました。さらに整備も楽になり、稼働率も大きく向上しました。
三式戦闘機のエンジンを空冷エンジンに換装したこの機体は、五式戦闘機として大戦末期の昭和20年に陸軍に正式に採用されました。本土防空に際して、当時の陸軍主力機で「大東亜決戦機」と言われた四式戦闘機「疾風」を凌ぐ活躍しました。
実際、「五式戦1機は四式戦3機の価値がある」というパイロットの声もありました。
最新技術を駆使し全力を挙げて世の中に送り出したモノが必ずしも成功せず、その代替として間に合わせで作ったモノが大成功を納める、ということは、よくある話のように思います。
但し、最初の苦労と経験が土台になり、その次の一手を打ったからこそ、成功するのでしょうね。五式戦闘機の場合も、三式戦闘機の機体構造が元々頑丈だったからこそ、成功したともいえます。