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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

やっぱりファッショ?

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自民党が、NHKやテレ朝のヒアリングをしていると言う。やらせ報道などはもってのほかだし、わが国のマスコミにその社会における役割など主張するだけのベースが存在するかどうか極めて疑問だといつも感じているが、それでもやはり政治が民主主義の根幹をなす表現の自由に大きな影響を与えかねないこのような行動は厳に慎むべきであり、再三指摘しているように戦前の治安警察法、治安維持法の世界に戻りつつあると改めて感じる次第だ。

原発の再稼働差し止めに関する福井地裁の判断が出たが、これも詳細を読んだわけではないが、早速判決文に引用された専門家の発言が曲解であるとの指摘がされている。そして、原子力規制委員会の事故調査分析で地震動との因果関係が否定されているとの指摘もある。

もちろん、地裁の判決がどこから見ても正しいものとは限らないが、何故このようにお上の決定に対する否定的な見解が来ると、御用学者などが中心となってこれをつぶしにかかるのか?詳しいことが分かるわけではないが何となく不安を感じてい大多数の国民の声は、もちろん便利さはあった方が良いが、でも本当に大丈夫なの?ではないのか?

再三指摘しているが、誰もが福島原発の事故の原因を明確に究明できていないのに、或いは原発の中で何が起きているかも未だに分かっていないのに、そもそも地震動との因果関係が何故否定できるのか?私も、直後に原発から2キロまで行ったが、そのあたりは道路は亀裂、段差だらけで、地震の影響が極めて大きいと感じられた。原因究明すらできていないのに、再稼働を考えること自体が、そもそも国民に対する裏切りであり、このような行為をただただ無理を押して突っ走るというのが現在の政府であるとすれば、国民不在と言わざるを得ない。

ところで、最近は故人の性格まで反映したグーグルロボットが出来るという話だが、そこまでする必要があるのか個人的には疑問を感じる。科学技術の発達を否定するものではないが、何でも出来てしまうことが人類という生き物にとって本当に良いことなのか、もっと慎重にすべきではないか?親しい人を亡くした方々の悲しみは理解できるが、だがそれを自らの人生がどこかで終局を迎えるのにも関わらず、永遠にロボットとして故人を存在させるとするとすれば、何となく人類の持つ生命体としての存在が変容するような気がする。

それよろも、先日福島の炉にようやくロボットが入ってすぐに停止してしまったようだが、これも震災直後から指摘しているように、まずは人の性格などより前に、原子炉に入って中を確認するロボットを開発することに、最初からあらゆる資源を投じて注力すべきであったと考える。こちらの方が、このような体たらくで、一方で再稼働へ突き進む姿をみると、そもそも原因を解明する気はない、国民の命を危険にさらしても、大企業中心の経済中心社会を貫きたいということかとしか思えない。

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