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ソニーエリクソンの挑戦(18)~1999年7月、北米からの撤退

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1994年2月に設立されたソニーと米クァルコムのジョイント・ベンチャー、「クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス」(QPE)は、その後どうなったのか? ソニーは1999年7月に、北米の携帯電話事業からの撤退を決定、これを受けて、クァルコムも携帯電話の製造から撤退します。この経緯については、前回紹介した"The QUALCOMM EQUATION"で詳しく述べられています。以下は、その要訳です。

「1994年にスタートした、ソニーとクァルコムのジョイント・ベンチャー、クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)は、さまざまな問題を抱えていた。1997年の前半までは、QPEと、そのパートナーだけが、アメリカ市場向けにCDMA対応の携帯電話を生産していた。しかし、1997年の後半から1998年の前半になると、ノキア、モトローラ、サムスンを含む何社もが、CDMA端末を発売し始めた。1997年と1998年には、携帯電話市場の拡大が予想されたため、部品の不足が常態となり、生産量の少ないクァルコムにとっては、組立ラインを稼働させることが難しくなっていた。クァルコムが、当時人気のあったGSMやTDMAと同じようなスマートでコンパクトなデザインの製品を作ることに苦労しているうちに、開発や製造コストが、利益を浸食し始めていた。多くの国際的な企業が、より低い労働コストで、CDMA端末の生産を行うようになっており、アメリカの労働者の給与水準では、クァルコムは競争力を維持できなくなっていた。

日々の操業に関する問題に加え、モトローラにより、デザインに関連した訴訟を起こされていた。この訴訟は、「Q Phone」という小型の折り畳み式携帯電話が、モトローラの「StarTac」というモデルの特許を侵害している、という主張に基づいていた。クァルコムは、また、携帯電話の注文の、激しい季節的変動にも苦しめられ、短期間に、数百人の労働者の解雇と再雇用を繰り返していた。QPEは、競合他社と比べて、依然として小規模だったことから、季節的変動を簡単に吸収できず、市場の変化が収益性に影響を及ぼしていた。

QPEのパートナーシップにおいて、ソニーの側も、また、あまりうまくいっていなかった。QPEを通じての共同開発・生産に加えて、両社とも、それぞれ独立して、携帯電話の開発と発売を行っていた。ソニーの携帯電話は、部品の不足と品質問題により、概して、市場投入が遅れがちであった。発売されたとしても、スタイルや機能が、市場のニーズからはずれたものとなっていた。

予測されうる事態の前兆は、1999年7月に起きた。ソニーは、北米のCDMA事業からの撤退を決め、予告していた製品の発売を取りやめた。携帯電話の生産面での問題から、ソニーは北米市場から退場し、ソニー本社のもとで、携帯電話事業の再編を行うことにした。ソニーは、QPEのジョイント・ベンチャーは維持し、その時点では、携帯電話の生産増加を望んでいたクァルコムに、その製造ラインを引き継いだ。このことは、短期的には、クァルコムの生産能力を引き上げたが、端末事業は、同社に損失を与え続けることを示唆していた。もし、ソニーのような消費者向けエレクトロニクス・メーカーが、端末事業で成功しえないのならば、クァルコムは、どうやって、それを継続させられるのだろうか?

さまざまな戦略的オプションのうち、もっとも賢明な選択は、端末事業を売却することだった。1999年12月、携帯電話事業は、日本の京セラに売却される、という発表がなされた。京セラは、端末事業における主要メーカーではなく、アメリカ市場にも存在感はなかったにもかかわらず、日本におけるCDMA携帯電話の有望な玄関であった。京セラは、クァルコムの使用していた装置や設備を引き継いだだけでなく、3年間の従業員の雇用も保証した」(The QUALCOMM EQUATION pp.146-148)

ソニーとクァルコムのジョイント・ベンチャーが、抱えていた問題は、QPEへの出資比率がクァルコム51%、ソニー49%と、クァルコムが主、ソニーが従の関係にあったことがあげられます。また、QPEを通して、携帯電話の共同開発と生産を行っていた上に、ソニー、クァルコムともに、それぞれ独立して、携帯電話の開発・発売を行っていたことが、リソースの分散や、パートナーとの競合といった問題を招きました。こうした反省を踏まえて、ソニーエリクソンでは、ソニーとエリクソンが、それぞれ50%ずつ出資することで中立を保ち、また、両親会社は完全に携帯電話の端末事業から撤退することで、資源の分散や、パートナーとの競合といった問題の発生を防いでいます。

また、ソニーとは別に、エリクソンも、クァルコムとは因縁があって、特許に関する係争を解決するために、クァルコムは、1999年3月に、北米における携帯電話のインフラ事業をエリクソンに売却しています。端末事業の売却とあわせ、クァルコムは、完全に生産からは手を引いたことになります。

そして余談ですが、京セラが、クァルコムから買い取った工場は、その後、どうなったのでしょうか? 実は2005年6月に、携帯電話の生産を中止し、シンガポールのFextronics社に、アウトソーシングすることが発表されています。

http://www.kyocera.co.jp/ir/news/pdf/kwc050505.pdf

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