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一口に広報といっても内容はさまざま。現場での広報活動の実際をご紹介します

広報に関するひとつの議論

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先日、あるIT企業の広報のBさんと食事に行きました。
以前から知り合いだったのですが、じっくりお話するのは今回が初めてでした。

興味深かったのは、看板のないあやしいお店の常連さんだったということもさることながら、とても真剣に広報というものを考えていることでした。もちろん、私も本職なのでまじめに考えているのですが、Bさんの場合はその思いがアツアツで、小気味よいエピソードをいくつも持っていらっしゃるのです。

分類すると、暴れん坊な広報さん。(対極には、守りを固めた、という分類があると思います)たとえば、「自分はこの道のプロだから信用してまかせろ。でなければ辞めてやる」と言える人がどのくらいいるでしょう。Bさんはこのような熱さ真剣さで、社内からもメディアからも信頼を獲得してきた方なのです。

Bさんは現場の仕事が大好きで、職位が上がったりして現場を離れることを望んでいないような方です。よく元・同僚の方と広報論をかわすそうなのですが、この日も私を相手に「広報のむずかしさ」というようなテーマで熱く語ってらっしゃいました。「何がむずかしいって、やはりメディアのみなさんとのコミュニケーションが一番むずかしくて重要。これを確立し、維持することが基本なんです。最悪なのは興味をなくされることですね」

たしかに。興味をもたれていないと、いい記事も悪い記事も、なんにも書いていただけません。これでは世の中に登場する機会すらないのです。この議論には私も熱くなってしまいました。

たとえばもし会社にとって悪い記事が掲載されてしまったら、どうでしょう?
おそらく社内で広報担当者は責められるでしょう。なぜ止められなかったのか、と。
もし、その記事が明らかに間違いであった場合には、堂々とクレームを入れたり修正依頼をすることができます。でももしその記事が間違いではなかったら?

時として広報は、その職務上、「まだ公開してはいけないこと」や「自発的に言わないこと」などを抱えることがあります。その痛いところをついてくるのが、優秀な記者さんです。

身近な例で、たとえば製品の機能で今のバージョンではできないことを取材で聞かれ、記事で指摘された場合はどうでしょうか?これは「会社にとって都合の悪い記事」ですが、間違いではないのでいくら社内での立場があやうくなろうが、企業として真摯に受け止め、製品の改善を図るか、次期バージョンで対応できるようになることを取材を受けた記者の方にお伝えするといった対策が必要になります。

「悪評も評判のうち」と言います。極論のようですが、誰にも興味を持たれないよりは、今はできない機能でも書かれたほうがいいと私は思います。次の記事では「できるようになった」と取り上げていただける可能性も出てくるわけですから。※悪い記事のうち、スキャンダルはまた別問題です。これは経験がないのであまり語れませんが、そのうちテーマにしてみたいと思っています。

メディアのみなさんは、常に読者にとって必要な情報を探しています。常に興味を持ち続けられるような広報活動を続けていきたいものだと、改めて実感した夜でした。

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