フラット化しないWEB世界は「東京」が特殊だから?
誰でも知っていることだけど、たまによくわからなくなるのでメモエントリ
インターネットはどこでも同じ環境でほぼ使える世界になっているが(日本国内ね)
それでもやはり「誰にでもウケる」サービスは作りづらい。
その原因の一つとして
「東京と田舎での生活リズムがあんまりにも違いすぎる、日本」があるかもしれない。
ちょいちょい、九州やら札幌やら、秋田やらなど、東京以外の地域に住んでいると、
色々とわかってくる部分がある。
昔、何かのインタビューでマツコデラックスが
「東京は日本で一番変わってる人間を許容する」と言ってた。
確かにそう思う、仕事柄、その土地の人と多く話す仕事についているけれど、
いわゆる「結婚率」や「子供の居る率」なんか一つ見たとしても、
同年代(25歳)とは思えない結婚して落ち着いて、子供を育てている人なんかざらにいる。
でも東京だとそういう人は逆にスタンダードじゃない。むしろ珍しいほうにはいるかも?。
半径ワンクリックならぬ、携帯電話帳にいる妻帯者比率で見ると、
同年代なんて1割以下だ、100人居てせいぜい5,6人。
子供が居るとなるとさらに半分以下だ。
でも東京以外の人と話していると、そういうことはない。
今滞在しているところだって夜の9時になったら意外なほど人が歩いていない。
で、はたと気がつく「これが普通なのか?」
東京の基準に慣れていると、アホほど、人が居たとしても普通の感覚になる。
でも、ちょっと地方の都市(今滞在している場所もそこそこでかい)に行くと、
9時10時でワイワイやっているのはせいぜい週末ぐらいだ。
でも、平日月~木の夜の新宿東口や、渋谷のハチ公前には人がたくさんいる。
それを考えると中途半端な
「生活の5分を短縮してくれるサービス」は地方ではあんまり役に立たない。
前に地方の人と話してて彼らの「乗り換え案内系」の使わなさを驚いたことがある。
東京みたいにポコポコ新しい駅ができたりしないから、必要ない。
当たり前といえば当たり前であるが、東京だと1週間に1回は使う。ないとわからなくなるし。
そういうことを考え出すと、「誰かにとって有益なWEBサービス」
を考えるときに「地方」と「東京」のどちらの人間が使いやすいのかを
考えなければならないんじゃないかと思うときがある。
でも、「インターネットはフラットな世界」でもある。
この矛盾を巧く解決できたサービスが、インターネット上に生き残っているんじゃないか?
こんなことを河野さんが書いてた「ジャージ世論」を見ながら考えた。